「ローラースルーGOGO」の版間の差分

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なお[[新幹線]]の[[東京駅|東京]]-[[新大阪駅|新大阪]]間運賃が当時5,510円という時代で、また[[テレビゲーム]]流行以前で子供に数千円もするような玩具を買う機会も滅多に無かったことから、児童向けとしてはそれなりに高価で憧れの玩具であった。この流行当時、これらを持っていた子供らやその友達はこの玩具を庭先や公園・路地裏などで替わりばんこにひたすら乗り回したりして、時間を忘れて遊ぶ様子が日本各地で見られた。また当時の[[流行]]の例に漏れず、幾つもの[[コピー商品]]も発売されている。
 
=== ブームの終 ===
このように急速に社会に流行したローラースルーGOGOだが、日本ではこれに乗って[[公園]]や路地裏はなおのこと交通の多い[[公道]]で遊ぶ児童も後を絶たず、1976年の春頃に[[貨物自動車|トラック]]に巻き込まれる交通事故が立て続けに2件発生し、報道に危険な玩具として取り沙汰され、激しいバッシングの対象となった。
 
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この時、発売開始されたばかりのGOGO7も殺到していた注文が途絶え、このため日本国内では少数しか出まわらなかった。
 
突然の流行によって街に溢れたローラースルーGOGOは当時の警察にとっても交通安全の上で見逃せない要素となっており、2件目の事故発生直後に乗り物としての安全性を疑問視して製品テストを行う旨を発表した。警察ではローラースルーGOGOを2週間にわたって調べたが、とくに構造上に問題は無いと発表した。しかし発表が出るまでの間にもメディア上でのバッシングは続き、ついに人気が回復することなく注文は途絶えたままとなり、ブームは突然に終を迎えた。
 
この市場崩壊で発売元では販売継続を断念し、製造中止となった。このとき売れ残った製品は既に“ ''Honda Kick'N Go'' ”として販売していた米国への輸出に振り向けられた。