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'''毛利 高範'''(もうり たかのり、[[慶応]]2年[[12月5日 (旧暦)|12月5日]]([[1867年]][[1月10日]]) - [[昭和]]14年([[1939年]])[[6月12日]])は、[[子爵]]、貴族院議員、[[毛利式速記術]]の創始者。
[[肥後国|肥後]][[宇土藩]]主[[細川行真]]の次男として熊本に生まれた(幼名、侃次郎(なおじろう))。義理の叔母・美女子
妻は[[越後国|越後]][[与板藩]]第10代藩主:[[井伊直安]]の娘隆子である。次女の[[近衛千代子|千代子]]は[[近衛文麿]]に、三女泰子はその弟[[近衛秀麿]]に、五女喜代子は[[筑波藤麿]]に嫁したが、子供らはみな速記術を習得し、泰子は[[西園寺公望]]の秘書だった[[原田熊雄]]に協力してその「原田日記」を口述筆記した。
[[細川護立]]とは[[はとこ]]。
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