「アクバル2世」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
ZéroBot (会話 | 投稿記録)
m r2.7.1) (ロボットによる 追加: zh:阿克巴·沙二世
3行目:
 
==生涯==
当時のムガル帝国はすでに[[デリー]]周辺を支配するだけの小勢力となり、一方でシク教国やマラーター族、ラージプート族を制圧しつつあった[[イギリス東インド会社]]の勢力が増大していた。

そんな中、宮廷では[[ウルドゥー語]]を用いた文芸活動が流行し、ムガル皇帝たちもまた数々のウルドゥー詩を詠んだ。アクバル・シャーも例外ではなく、政治を諦め、一地方勢力としてそこに落ち着き、詩作にふけって日々を送ったとされる。
 
ムガル帝国の存在が形骸化する一方で、イギリス東インド会社は確実に勢力を増大させ、[[1818年]]には帝国にとって長きにわたり目の上のたんこぶとなっていた[[マラータ王国]]を滅ぼした。20年後にはムガル帝国本体に攻撃の矛先が向けられることになる。ヒンドゥーの勢力と列強の勢力が入り乱れた1837年、帝国の権威を回復する術も見当らず、77歳で死亡。帝位は子の[[バハードゥル・シャー2世]]がそのまま引き継いだ。