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江戸期の百科に記載された大坂~鳥羽~江戸 の海路の地名の注記
地名表示の訂正 南部町→みなべ町
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[[ファイル:Osaka Maritime Museum Naniwamaru.jpg|thumb|復元船「浪華丸」]]
'''菱垣廻船'''(ひがきかいせん)とは、日本の[[江戸時代]]に、[[大坂]]などの[[上方]]と[[江戸]]の消費地を結んだ<ref>以下に,参考までに江戸期の百科に記載されている大坂~鳥羽~江戸間の海路の地名を示す。(便宜上、地名には番号を付した。なお「」内には現在地名表記(当時とは異なる場合のみ)を示す。出典は寺島良安『[[和漢三才図絵]]』吉川弘文館、1906年復刻(原著は1713(正徳3)年)、1032頁・「摂津国」の項に拠った。)1'''[[大坂]]'''、2(泉州)[[堺]]、3大津「[[泉大津市|泉大津]]」、4[[岸和田]](きしのわだ)「きしわだ」、5[[貝塚市|貝塚]]、6佐野「[[泉佐野市|泉佐野]]」、7[[樽井]]、8[[箱作海水浴場|箱作]](はこつくり)、9吹居、10谷川、11(紀州)小島、12加田、13[[和歌浦]]、14鹽津「[[塩津漁港|塩津]]」、15大崎、16蓑島(みのしま)「箕島」、17由良内(ゆらのうち)「[[由良町|由良]]」、18比井「比井崎」、19尾花、20[[印南町|印南]](いなみ)、21切月、22南辺(みなへ)「[[南部みなべ町|南部]](みなべ]]」、23[[田辺市|田辺]]、24湯崎、25[[富田]]、26市江「市江崎」、27阿滝、28周参見(すさみ)「[[すさみ町]]」、29美呂津(みろづ)「[[見老津駅|見老津]]」、30里浦(さとのうら)、31江田、32[[有田]]、33鹽水崎(しおのみさき)「[[潮岬]]」、34[[紀伊大島|大島]]、35[[古座町|古座]]、36[[田原]]、37浦上(うらか)、38泰地(たいぢ)「[[太地町|太地]](たいじ)」、39葛(かつら)「[[勝浦町|勝浦]]」、40[[三輪崎町|三輪崎]](みわがさき)、41三木島(みきのしま)、42九鬼(くき)「九木崎」、43島桂、44[[紀伊長島町|長島]]、45田鷲(たなわし)、46本坂(もとさか)、47亀崎、48五箇所(ごかのしょう)「[[五ヶ所浦|五ヶ所]](ごかしょ)」、49大奥(たいおう)「[[ 大王町|大王]](だいおう)」、50阿濃(あのう)「[[安乗]](あのり)」、51'''[[鳥羽]]'''、52(遠州)大山、53今切、54掛塚、55横須賀、56御厩崎(おうまやざき)「[[御前崎]](おまえざき)」、57小浦「子浦」、58中木、59長津呂、60[[下田市|下田]]、61外浦(そとうら)、62稲島(いなしま)、63川野「川奈(かわな)」、64[[網代_(熱海市)|網代]](あじろ)、65真津留(まなづる)「[[真鶴町|真鶴]]」、66[[大磯]]、67水崎(みさき)「[[三崎町|三崎]]」、68浦川「[[浦賀]](うらが)」、69走水(はしり)、70(武州)[[神奈川湊|神奈川]]、71'''[[江戸]]'''</ref>[[廻船]]([[貨物船]])である。当時、存在した同様の貨物船の[[樽廻船]]と並び称される。菱垣とは、両舷に設けられた[[垣立]](かきだつ)と呼ばれる[[舷墻]]に装飾として木製の菱組格子を組んだ事に由来する。
 
== 概要 ==