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[[Image:Eleanor of Provence.jpg|right|thumb|200px|王妃エリナー]]
'''エリナー・オブ・プロヴァンス'''(Eleanor of Provence, [[1223年]] - [[1291年]][[6月26日]])は[[プランタジネット朝]]の[[イングランド王国|イングランド]]王[[ヘンリー3世_(イングランド王)|ヘンリー3世]]の王妃。
 
南[[フランス]]の[[エクス=アン=プロヴァンス]]出身。[[フランス語]]では'''エレオノール・ド・プロヴァンス'''(Éléonore de Provence)と呼ばれる。[[プロヴァンス伯]][[レーモン・ベランジェ4世]]([[アラゴン王国|アラゴン]]王[[アルフォンソ2世 (アラゴン王)|アルフォンソ2世]]の孫)の娘で、姉に[[フランス王国|フランス]]王[[ルイ9世_(フランス王)|ルイ9世]]の王妃[[マルグリット・ド・プロヴァンス|マルグリット]]、妹にヘンリー3世の弟[[リチャード (コーンウォール伯)|コーンウォール伯リチャード]]の妃サンシー、ルイ9世の弟[[シチリア王国|シチリア王]][[カルロ1世 (シチリア王)|カルロ1世]](シャルル・ダンジュー)の妃[[ベアトリス・ド・プロヴァンス|ベアトリス]]がいる。[[サヴォイア家|サヴォイア伯]][[アメデーオ4世 (・ディ・サヴォイア伯)|アメデーオ4世]]の姪に当たる。
 
[[1236年]]1月14日、ヘンリー王と結婚した。彼女の輿入れには母方の伯父4人が同行して、イングランド宮廷に居座った。そのうち[[サヴォイア伯]][[トンマーゾ1世 (・ディ・サヴォイア伯)|トンマーゾ1世]]の息子ボニファスは[[カンタベリー大司教]]に登用された。ヘンリー3世の[[ポワトゥー]]贔屓(王太后[[イザベラ・オブ・アングレーム]]の縁による)に揺れる宮廷に、王妃は無分別にもサヴォイア贔屓を行い、イングランド人を相手にせず、いたずらに不評を招く結果となった。
 
王との間に育ったのは2男2女である。長男エドワードは次代の王[[エドワード1世_(イングランド王)|エドワード1世]]となる。次男エドマンド([[エドマンド・クラウチバック]])はランカスター伯となり、[[シモン・ド・モンフォール]]敗死後、レスター伯、[[ダービー伯爵|ダービー伯]]、[[シャンパーニュ伯]]の称号を得た。エドマンドの曾孫ブランシェは[[ジョン・オブ・ゴーント]]の最初の妻である。長女[[マーガレット・オブ・イングランド|マーガレット]]は[[スコットランド]]王[[アレグザンダー3世_(スコットランド王)|アレグザンダー3世]]の王妃となり、次女[[ベアトリス・オブ・イングランド|ベアトリス]]はブルターニュ公[[ジャン2世 (ブルターニュ公)|ジャン2世]]の妃となった。
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[[Category:イングランドの王妃]]
[[Category:バルセロナ家|えりな]]
[[Category:エクス=アン=プロヴァンス出身の人物]]
[[Category:1223年生]]
[[Category:1291年没]]