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{{出典の明記|date=2012年1月}}
'''キリスト教徒'''(キリストきょうと、{{lang-la-short|'''Christianus'''}}; クリスティアーヌス)あるいは'''クリスチャン'''([[英語]]:'''[[w:en:Christian|Christian]]''')とは、[[キリスト教]]の[[信徒]]のことである。
 
キリスト教はいくつかの[[キリスト教諸教派の一覧|教派]]に分かれているが、[[イエス・キリスト|ナザレのイエス]]を救世主[[キリスト]](メシア)と信じ、[[旧約聖書]]に加えて、[[新約聖書]]に記されたイエスや[[使徒]]たちの言行を信じ従い、その教えを守る者がキリスト教徒であると言える。
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== 語源・使用例 ==
英語のクリスチャン([[w:en:Christian|Christian]])は、[[キリスト]]([[w:en:Christ|Christ]]、クライスト)の派生語。「香油を注がれ神聖となった者」という意味のギリシャ語<クリストス({{lang|el|Χριστός}})が語源であり、元はヘブライ語משיח(マーシアハ)あるいは[[メシア]](アラビア語ではمسيح  マシー)のギリシャ語訳。英語Christには「救世主」という意味も含まれる。キリストが[[イエス・キリスト|ナザレのイエス]]のみを指すと考える人間も多い。日本ではイエス・キリストをフルネームのように扱うことがあるが、正確には「油を注がれた聖なる王イエス」という意味の呼称である。
 
クリスマスをXマスと書くように、クリスチャンはXianやXtianと表記されることがあるが、一般的ではない。短縮形にXやXtを用いるのは、キリスト(ギリシャ語:{{lang|el|Χριστός}} クリストス、ハリストス)の最初の[[ギリシア文字]]である[[Χ]](キー)が、英語のXに似ているため。
 
当初クリスチャンという言葉は、イエス・キリストの[[使徒]]や使徒と見なされた人間の名誉を傷つける意味で使われた。歴史上最も古い記述は、[[新約聖書]]の[[使徒行伝]] 11章26節にみられる。イエスの使徒を初めて「クリスチャン」と読んだのはギリシャの都市[[アンティオキア]]の[[ノンクリスチャン|非キリスト教徒]]たちであった。
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== キリスト教徒の定義 ==
多様な信仰をもつ様々な団体が「クリスチャン」を自称している。一般的にキリスト教徒は、各々の信仰や神学上のある項目に基づいて分かれた[[教派]]([[w:en:Christian denomination|denomination]])という教会集団に属している([[宗派]]は仏教用語)。各教派の間では、それぞれが伝統の中で培ってきた聖書の解釈の違いや聖書に与える権限の大小によってキリスト教徒の定義に差が生まれている。
 
[[福音派]]([[聖書信仰]])の教会では[[新生 (キリスト教)|新生]](ボーン・アゲイン、[[w:en:Born again Christianity|Born again]])した者のみをクリスチャンと認め、聖霊によって新生させられ、自覚的回心を経験した、新生した者のみに、父、御子、聖霊の[[三位一体]]の御名によって洗礼を授け、[[洗礼による新生]]を退ける。[[聖書]]を神の言葉と信じる信仰を堅持する。特に[[国教会]]に対する[[自由教会]]運動の歴史を持つ。[[幼児洗礼]]を認める教会では、教会員と両親が子供に信仰継承をさせる責任があるとする。(新生キリスト教)
 
リタージカル(聖餐神性礼拝)教派である[[正教会]]、[[東方諸教会]]、[[カトリック教会|ローマ]]および[[東方典礼カトリック教会]]、[[聖公会]]([[イギリス国教会]])、[[ルーテル教会]]、それに加えて多数の伝統教会の、[[モラヴィア兄弟団]]([[w:en:Moravians (religion)|Moravians]])などでは、「クリスチャン」という肩書きは「[[三位一体|父と子と聖霊の名において]]」[[洗礼]]を受けたものだけに与えられる<!--尊い(POV)-->称号である。それゆえ、このグループの多くは成人の改宗者の洗礼に加えて乳児洗礼や[[幼児洗礼]]を進んで行っている。[[バプテスト教会]]は本人の自覚的信仰を重視するため、信仰告白のできない者(例えば乳幼児など)の洗礼を認めていない。
 
キリストの教会(無楽器派 [[w:en:Church of Christ|Church of Christ]])、国際キリストの教会(ボストン運動 [[w:en:International Churches of Christ|International Churches of Christ]]) 、[[w:en:Independent Christian Churches/Churches of Christ|Independent Christian Churches]]といった教派では、悔い改めて「父と子と聖霊の名において」([[マタイによる福音書|マタイ]] 28章19節)[[洗礼]]を受けた成人だけがキリスト教徒である、と説いている。つまり、成人の洗礼が非教徒から教徒への転換となる。
 
極端な[[自由主義神学]]的な教派では単に[[ナザレのイエス]]の教えに従う人はクリスチャンであると考える。これは自由主義神学を自称する中でも極端なグループでのことであり、自由主義神学を謳っていても伝統的・保守的な流れを基本においた教派の方が圧倒的に主流派であり、このような極端な解釈をする教派は少数である。
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[[宗教的包括主義]]の[[無名のキリスト者]]論では、イエス・キリストを知らなくてもキリスト教徒と呼べる者があるとする。さらに、[[宗教多元主義]]では、キリスト教徒と他の宗教の信者の間に区別を設けない。<ref>[[ジョン・ヒック]]著『もうひとつのキリスト教:多元主義的宗教理解』[[日本基督教団]] ISBN 4818400270</ref><ref>ジョン・ヒック『神は多くの名前をもつ:新しい宗教的多元論』ISBN 4000003143</ref><ref>[[宇田進]]『現代福音主義神学』[[いのちのことば社]]</ref>
 
[[エホバの証人]](ものみの塔)では幼児洗礼を認めておらず、自ら望んだ聖書研究の過程の後に信仰を自覚した上で、長老との討議・面接で認められる必要がある。長老団より「正しい信仰あり」と認められれば'''「父と子と聖霊の名によって」'''浸礼による洗礼で正式なクリスチャンになるとされる。但し、「父と子と聖霊の名によって」は他の教派と解釈の仕方が異なる。彼らは「[[イエス・キリスト|イエス]]は神学上最重要な存在であり、また唯一の神の子、救世主・キリストであるが、神自身ではない。飽くまで子である」という信条を持ち、三位一体を認めていないためである。
 
また、[[末日聖徒イエス・キリスト教会]](LDS、[[モルモン教]])など、キリスト教徒になるには父と子と聖霊の名における洗礼も含め、教会のメンバーになるために正式な誓いを立てる必要があるとする教派もある。LDSでは子どもが自分の言動に責任をもてる年齢と見なされる8歳に達したとき、または8歳以上で改宗しLDSに入信するときに洗礼を受ける。
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{{See also|公同の教会|カトリック}}
 
前者の考えは「目に見える(可視、可見、見ゆる)普遍的教会」と言われる。初代教会から継承され、民族や地域を越えて全世界の教会が教理や礼拝を一致させて作り上げてきている「目に見える教会」である。1つ1つの教会が普遍教会なのである。この考えは2世紀から4世紀に完成した[[使徒信条]](使徒信経 [[w:en:Apostles' Creed|Apostles' Creed]])の中に述べられている。
 
一般的に目に見える普遍教会の伝統では、[[三位一体]]、[[贖い|贖罪]](キリストの犠牲によって得る罪の赦し)、からだの[[復活 (キリスト教)|復活]]といった共通の信仰の下に[[洗礼]]を受けた者は誰でも教会に受け入れられる。この教えは、目に見えない神の恵みを目に見える証として行う[[秘跡]](秘蹟、サクラメント)の儀式に導入されており、「神が人間に与えた啓示、真のキリスト教徒全てによって認められている真理、特に[[聖書]]の言葉や聖なる伝統の中に伝えられるもの」([[w:en:deposit of faith|Deposit of faith]])として次世代に受け継がれていく。
 
一方、プロテスタントは人間の目に見える1つ1つの教会のバックボーンとなる「目に見えない(非可視、不可見、見えざる)普遍的教会」という考えを持つ。教派など目に見える違いがあろうとも、過去から未来までイエス・キリストを信じる者全てが民族や地域を超えて作り上げるイエス・キリストのからだ、つまり目に見えない普遍的教会に属するという考えで、これは中世末期に[[宗教改革]]が起こるまで明白にされなかった。
 
少数派ではあるが、聖書で「教会」と訳されているのはほとんどが地元の自治体や集会を指していると主張する教派もある。英語の[[w:en:Christian church|Church]]は、主の家という意味の古代ギリシャ語のκυριακον から派生した。[[コイネー|コイネー・ギリシャ語]]では[[教会]]をεκκλησία(ecclesia エクレシア)というが、キリスト教以前にはギリシャ都市国家の立法府などある目的のために集った会という意味で用いられた。
 
この流れをくむ教派は、[[原始キリスト教|初代教会]]から[[コンスタンティヌス1世]]の台頭を通して見られた中央集権化を目指す教会内の動きが真のキリスト教からの逸脱であると考え、[[ニカイア・コンスタンティノポリス信条]](二ケア信条)や[[使徒信条]]を否定している。
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200年頃には[[テルトゥリアヌス]]がキリスト教徒迫害について「[[殉教|殉教者]]の血は(教会)の種となる」と語った言葉が引用された。[[エウセビオス]]の『[[教会史]]』2巻25章4節の記述[http://www.ccel.org/fathers2/NPNF2-01/Npnf2-01-07.htm#P1454_673662 (英文)]では
: ローマ人テルトゥリアヌスもまた(ネロがキリスト教の敵となった最初の皇帝であることの)証人である。彼は次のように書いている
:: 記録を調べてみよ。そうすればこの教義を最初に弾圧したのがネロで、東方を征服したあと今まで以上にローマで残酷の限りを尽くしたことがわかるだろう。彼のような男が我々を迫害するリーダーであったことを誇りに思う。なぜならネロを知っている人間ならわかることだが、あの男は非常に素晴らしいものは必ずつぶしにかかるからだ。
 
313年、皇帝[[コンスタンティヌス1世]]の発布した [[ミラノ勅令]]によりキリスト教が公認され、正式に弾圧が終わった。同皇帝の下で、[[第1ニカイア公会議]](コンスタンティヌス大帝の宗教政策 [[w:en:Constantinian shift|Constantinian shift]]とも呼ばれる)に始まり、キリスト教徒は政治への強い影響力を手に入れた。その結果起こった様々な出来事は今日までも論争の的になっている。
 
313年、皇帝[[コンスタンティヌス1世]]の発布した [[ミラノ勅令]]によりキリスト教が公認され、正式に弾圧が終わった。同皇帝の下で、[[第1ニカイア公会議]](コンスタンティヌス大帝の宗教政策 [[w:Constantinian shift|Constantinian shift]]とも呼ばれる)に始まり、キリスト教徒は政治への強い影響力を手に入れた。その結果起こった様々な出来事は今日までも論争の的になっている。
380年には[[テオドシウス1世]]がニカイアのキリスト教を[[国教]]と定め、392年には他宗教を禁止し、キリスト教は古代[[ローマ帝国]]で完全に国教化した。かつての迫害期から考えれば、とてつもない変化である。
 
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=== [[近世]]、[[近代]]から[[現代 (時代区分)|現代]]へ ===
近代のキリスト教信仰の歴史は、その多様化から言っても、各宗教運動ごとに研究を進めていくべきである。西洋では、ルネッサンス(文芸復興)運動を背景とした[[宗教改革]]によって教会と国家の関係がしっかりと調整されたことにより、教義の自己解釈や、目に見える統一体(普遍教会)という考えに対する公然たる批判が始まった。その結果として生じたプロテスタント諸教会の共通したモットーは、「聖書のみ」「恵みのみ」「信仰のみ」という標語で表される。中でもイギリスでのプロテスタント宗教改革の原因は純粋に宗教的なものでなく、国王ヘンリーVII世の離婚問題が発端であったが、結果的に組織化された教会は国王を首長とする監督教会(聖公会)となった。
 
北米の植民地では、[[啓蒙時代]]の思想から来る知的刺激に引き起こされて宗教運動が起こった。[[大覚醒]]([[w:en:Great Awakening|Great Awakening]])と呼ばれ、北米のプロテスタント教徒の大部分の信仰活動の基本となっている。
 
[[マタイによる福音書]]28章19-20節にあるイエスの言葉に応え、キリスト教の全教派が伝道団([[w:en:Mission (Christian)|Mission]])を各地へ送ったため、今日世界のほぼどこへ行ってもキリスト教徒が見付かるようになった。
北米の植民地では、[[啓蒙時代]]の思想から来る知的刺激に引き起こされて宗教運動が起こった。[[大覚醒]]([[w:Great Awakening|Great Awakening]])と呼ばれ、北米のプロテスタント教徒の大部分の信仰活動の基本となっている。
 
一部のキリスト教徒は、原始教会やキリスト以前の[[預言者]]にみられるような預言者的コミュニケーションや異言(そのままでは意味不明の声を発する、一種のカタルシス現象)、[[奇跡]]の[[神癒]]に熱心に参加している。これらの教徒は[[ペンテコステ派]]に区分されるが、[[カリスマ運動]]([[w:en:Charismatic Movement|Charismatic Movement]])、[[カトリック・カリスマ刷新]]など他の教派にも存在する。
[[マタイによる福音書]]28章19-20節にあるイエスの言葉に応え、キリスト教の全教派が伝道団([[w:Mission (Christian)|Mission]])を各地へ送ったため、今日世界のほぼどこへ行ってもキリスト教徒が見付かるようになった。
 
今日のキリスト教圏には、エマージェント・チャーチ([[w:en:emerging church|emergent church]])、[[キリスト教根本主義]]、[[復古正統主義]]、[[メシアニック・ジュダイズム]]、[[自由主義神学]]、ハウスチャーチ([[w:en:House church|House Church]])といった運動がある。
一部のキリスト教徒は、原始教会やキリスト以前の[[預言者]]にみられるような預言者的コミュニケーションや異言(そのままでは意味不明の声を発する、一種のカタルシス現象)、[[奇跡]]の[[神癒]]に熱心に参加している。これらの教徒は[[ペンテコステ派]]に区分されるが、[[カリスマ運動]]([[w:Charismatic Movement|Charismatic Movement]])、[[カトリック・カリスマ刷新]]など他の教派にも存在する。
 
現在もなお、キリスト教徒の生き方は[[新約聖書]]に書かれた[[イエス・キリスト|イエス]]という人物を信じることが根本である。完全に整った霊的状態は神の好意で与えられることによってしか実現しないといった教えにも見られるが、「人間の力では到底得られないものが神の憐れみによって与えられる」神与(天与)の[[恩恵]]([[w:en:divine grace|Divine grace]])という考えもまた、ローマ・カトリック教会の[[秘蹟]](プロテスタント教会では[聖礼典]と呼ばれる)と並んでいまだキリスト教徒特有の概念である。
今日のキリスト教圏には、エマージェント・チャーチ([[w:emerging church|emergent church]])、[[キリスト教根本主義]]、[[復古正統主義]]、[[メシアニック・ジュダイズム]]、[[自由主義神学]]、ハウスチャーチ([[w:House church|House Church]])といった運動がある。
 
== 他 ==
現在もなお、キリスト教徒の生き方は[[新約聖書]]に書かれた[[イエス・キリスト|イエス]]という人物を信じることが根本である。完全に整った霊的状態は神の好意で与えられることによってしか実現しないといった教えにも見られるが、「人間の力では到底得られないものが神の憐れみによって与えられる」神与(天与)の[[恩恵]]([[w:divine grace|Divine grace]])という考えもまた、ローマ・カトリック教会の[[秘蹟]](プロテスタント教会では[聖礼典]と呼ばれる)と並んでいまだキリスト教徒特有の概念である。
クリスチャンと対比しつつ、キリストを信じない者を「[[ノンクリスチャン]]」と呼ぶことも行われている。この語の使用法や使用傾向は教派ごとに異なる。
 
{{see also|ノンクリスチャン}}
== 聖書を基礎とした佐伯晃由の哲学の証明(結論なし)2012/09/19==
この論文の結論は、学校法人[[東京理科大学]]附属[[山口東京理科大学]]准教授[[村田貴信]]先生に郵送してあります。数日前、村田先生とは電話で会談し、現在大変お忙しいとのことで、返事をお待ちしているところであります。詳しくは、[[佐伯晃由]]、[[TERUYOSHI SAEKI]]、[[facebook]]ホームページをご覧下さい。結論なし論文の原本は、[[佐伯晃由]]が自宅で保管しております。
 
== 脚注 ==
<references />
 
== 関連項目 ==
* [[キリスト教]]
* [[キリスト]]、[[メシア]]、[[イエス・キリスト]]、[[救世主イエス・キリスト]]
* [[キリスト教の歴史]]
* [[日本キリスト教史]]、[[キリシタン]]、[[キリシタン大名]]、[[日本のキリシタン一覧]]
* [[東方諸教会]]、[[正教会]]、[[カトリック教会]]、[[聖公会]]、[[プロテスタント]]
* [[秘蹟]] – [[聖餐]]、[[洗礼]]
* [[正教徒]]
* [[清教徒]]
* [[新キリスト教徒]]
* [[ユダヤ教徒]]
* [[ムスリム]](イスラム教徒)
* [[日本のプロテスタント人名一覧]]
* [[日本のプロテスタント教派一覧]]
* [[クリスチャン・ロック]]
* [[キリスト教徒による宗教的迫害]]
 
== 外部リンク ==
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{{wikisource|聖書|聖書}}