「唯一神教」の版間の差分

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m 唯一神信仰の論理的背景を説明
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'''唯一神教'''(ゆいいつしんきょう、monotheism) は、神は唯一であるとし、その[[唯一神|唯一なる神]]を崇める[[信仰]]、[[宗教]]の形態である。複数の神を認め、崇拝する[[多神教]]とは対極的な概念である。[[アブラハムの宗教]]と呼ばれる一神教である[[ユダヤ教]]とそれを起源とする[[キリスト教]]、[[イスラム教]]や、[[ネオプラトニズム]]に支配的な概念とされている。
神が唯一であるとする考えは、単に聖書に記述されているという理由ばかりでなく、以下のような論理的背景を持っている。「神は人間の知性を超えた方である。したがって、神が何人いるとかいうことはできない。一人であるとか複数あるということになれば、それは人間が自らの知性で神を理解していることになるため、知性を超えた神ではない。したがって、もし、人間の知性を超えた存在としての神があるとすれば、『神はある』というこの『ある』という意味で、唯一である。そして、この「神はあるという」ことは認識できない。したがって信じることができるのみである。」この論理が多神教を駆逐して世に唯一神教が広がってゆく根拠となった。
 
同じ[[一神教]]でも[[拝一神教]]や[[単一神教]]が他の[[神]]々の存在を認めた上で一つの神を崇めるのに対し、唯一神教においては他の宗教の神々の解釈が問題になる。一つの対応は、そのような神々は人間が想像したもので、実際には存在せず、何の意味も持たないというものである。もう一つは、神的な存在はあり、[[人間]]よりも力がある不死の存在だが、人間と同様に心や力に限界を持つというものである。そういう存在は、自らを神と称して人々に崇拝を強いることで、重大な[[罪]]を犯していると説明される。最後に神の絶対性と自宗教の絶対性を区別し、宗教多元主義への道を開く思想である。この場合他宗教と自宗教は共に1つの神を信奉しており、違いは単なる伝統に過ぎないとなる。これに付随して多神教と一神教の区分も、神という存在に対する観点の違いであり、必ずしも相互に理解不可能ではないという思想が生まれる。(神は1つでもあり、多数でもある。)