「新日鐵住金光鋼管工場」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
安五郎 (会話 | 投稿記録)
組織改正対応
追記
1行目:
'''光製鐵所'''(ひかりせいてつじょ)は、かつて存在した[[新日本製鐵]](新日鉄:現[[新日鐵住金]])の[[工場]]である。[[2003年]](平成15年)に新日鉄から[[ステンレス鋼|ステンレス]]部門が[[新日鐵住金ステンレス]] (NSSC) として分社化された際に、[[鋼管]]部門が新日鉄「鋼管事業部 光鋼管部」、ステンレス部門がNSSC「'''光製造所'''」として分離され、組織の名称としての「光製鐵所」は廃止された。この後[[2011年]](平成23年)に光鋼管部は「'''大分製鐵所光鋼管工場'''」に改称され、九州にある[[新日本製住金大分製鐵所|大分製鐵所]]の下部組織とされた。
 
この項目では光製鐵所のほか後身の新日鉄「大分製鐵所光鋼管工場」およびNSSC光製造所についても述べる。いずれも所在地は[[山口県]][[光市]]大字島田3434番地。
 
== 概要 ==
8行目:
[[1955年]]([[昭和]]30年)に[[八幡製鐵]]の光製鐵所として発足したのがこの工場の始まりである。当初は[[線材]]専門の工場であったが、順次[[鋼管#電縫鋼管|電縫鋼管]]、[[熱間押出|熱間押出法]]による異形[[形鋼]]・[[鋼管|シームレス鋼管]]、ステンレス鋼材と生産品種を拡大した。[[1970年]](昭和45年)に八幡製鐵・[[富士製鐵]]の合併により新日鉄が発足すると、同社の光製鐵所となった。その後も[[チタン]]圧延材、金属箔などの生産を始めた。2003年(平成15年)、新日鉄からステンレス部門が分離されてNSSCが発足した際、それにあわせて、光製鐵所は新日鉄に残った「光鋼管部」とNSSCに移管された「光製造所」に分割された。[[2006年]](平成18年)にはさらに金属箔部門が新日鉄から[[新日鉄マテリアルズ]]に分離されている。2011年4月には光鋼管部は大分製鐵所に統合、名称を「光鋼管工場」とした。
 
現在の新日鉄光鋼管工場は、面積82万[[平方メートル]]、従業員数245人(2010年7月1日時点:当時は「光鋼管部」)<ref name="ncs-guide">{{PDFlink|[http://www.nsc.co.jp/company/pdf/nscguide2010_j_55.pdf 新日鉄ガイド 製鉄所等の概要]}}</ref>。形鋼・鋼管兼用の熱間押出設備、中径・小径の電縫鋼管製造設備がある<ref name="ncs-guide"/>。一方、NSSC側は[[電気炉]]や[[連続鋳造|連続鋳造設備]]、鋼板・線材の製造設備を持つ<ref>{{PDFlink|[http://www.nsc.co.jp/eco/report/pdf/h21_6.pdf 新日鉄環境・社会報告書 データ集]}}</ref>。製品は、新日鉄が中径・小径の電縫鋼管と熱間押出法による形鋼・シームレス鋼管、NSSCがステンレス[[棒鋼]]・線材・[[冷延]][[薄鋼板|薄板]]である。また、チタン薄板・管・線材・棒の圧延も光で行っている<ref>[http://www.nsc.co.jp/tech/report/no375.html 新日鉄技報 No.375]</ref>。
 
== 沿革 ==
21行目:
* [[2006年]](平成18年)[[7月1日]] - 新日鉄新素材事業部金属箔部門を新日鉄マテリアルズとして分離。
* [[2011年]](平成23年)4月1日 - 鋼管事業部光鋼管部が大分製鐵所に統合され、大分製鐵所「光鋼管工場」に改称<ref>{{PDFlink|[http://www.nsc.co.jp/news/data/20110314135748_1.pdf 「平成23年4月1日付組織改正について」]}}、平成23年3月14日付新日鉄ニュースリリース、2011年4月1日閲覧</ref>。
* [[2012年]](平成24年)10月1日 - 旧新日本製鐵と旧住友金属工業が合併、新日鐵住金が発足。
 
== アクセス ==