「ハマー (都市)」の版間の差分
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[[第一次世界大戦]]後オスマン帝国が解体すると、ハマーはフランス委任統治領の一部となり、後に独立シリアの大都市のひとつとなった。
[[1970年代]]後半、[[ハーフィズ・アル=アサド]]大統領の独裁や[[アラウィー派]]優遇が強まる中、[[ムスリム同胞団]]など不満を持つ[[イスラム原理主義]]勢力は都市ゲリラ活動を行い、兵士を殺害したり都市で自動車爆弾を爆発させるなどしていた。アサド政権が[[レバノン内戦]]に深入りし、一方で[[トルコ軍]]が[[クルド人]]との内戦でシリア国境に移動することにアサドが気を取られているすきにムスリム同胞団は活動を活発化させ、ついには[[1982年]]2月、保守的な[[スン
[[2月2日]]、大統領の弟リファ
この戦闘で古都の旧市街は壊滅し、アル=アザム宮殿を含む古い邸宅やモスク、遺跡の多くは破壊された。同胞団メンバーの多くはヨルダン、イギリス、西ドイツへ亡命し、シリアにおける同胞団の活動は沈静化する一方、打撃を受けたハマーは経済的に立ち直れなかった。破壊された後のハマーからは旧住民が海外などに逃げ、代わって周囲の農村からの新住民が多数を占めるようになった。
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