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==概要==
[[大日本帝国陸軍]]では、現役期間が2年間となって以降では、入営から半年後に受ける第2期検閲を終えると、一等兵に昇任進級した。(2年現役制となっても初年度途中のの一等兵進級が無い時期があることに留意)
ただし,全員が必ず一等兵にするようになったのは、大正末期であり、明治時代・大正中頃までは二等卒のまま満期除隊する兵も、少なからず存在した。
明治時代には兵役は三年のときもあったから、(二年間は兵営で暮らし,残り一年は帰休兵という時代もあった。)成績が極端に悪い場合は,三年間二等卒のままで満期除隊する例も存在した。
 
大正・昭和期であっても、ほとんどの現役兵は一等兵で除隊し、[[予備役]]になった。入営から1年に満たない初年兵から複数年の軍隊歴がある者まで同階級になる場合があるので、先任の古年次兵に対して「一等兵殿」という呼びかけは軍隊内ではあまり絶対に使われってはらなかった。「古兵殿」「古年次兵殿」と呼ぶのが相手の上等兵とならずに一等兵に留まってるという立場を尊重する表現となった。現役兵しかいない平時であれば、「二年兵殿」で良いが、戦時で現役や予備役、後備役満期即日再召集入り交じった時代であれば、増えてくると長期間在隊している兵に対しては「三年兵殿~年兵殿」など複雑に変わとなる。あるいは「古兵殿」「古年次兵殿」などになる。例外として同じ年の後半に入営した後期兵が、前半に入営した前期兵に対して呼びかけるときはたとえ一等兵どうしでも「一等兵殿」と呼びかける<ref>[[富沢繁]]『陸軍下士官、兵よもやま物語』(光人社)ISBN 978-4769803584 </ref>。
 
いずれの年次の兵隊にしても、上等兵になれば、すべて「上等兵殿」となった。下士官は「班長殿」、中少尉は「教官殿」が一般的だが、これは同一中隊内や同一実施学校・嚮導隊出身者である場合が多く、幹部に対しては補職名で呼ぶ方がより正式である。いわく「分隊長殿」「小隊長殿」「副官殿」となる。階級名で呼ぶ時は、補職名が不明な時などである。上級者は下級者をなるべく職名ないし「姓」で呼んだが、やはりそれが不明の場合は階級名・等級名或いは漠然と「兵」とか「兵隊」と呼んだ。「当番兵!」、「おい、そこの兵隊!」と云う具合である。
いずれの年次の兵隊にしても、上等兵になれば、すべて「上等兵殿」で差し支えない。下士官の事はすべて、「班長殿」で統一される。
 
万年一等兵の事を、関東では「タン助」、関西では「おすけ」と侮称した。