「板垣絹子」の版間の差分

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*[[1885年]](明治18年)6月28日、板垣退助の3番目の正妻 鈴(すず)が46歳で逝去。
*[[1885年]](明治18年)10月6日、板垣退助の三男、板垣孫三郎を産む。
*[[1886年]](明治19年)7月1日、板垣孫三郎が満10ヶ月で夭<ref>墓は[[高知県]][[高知市]]薊野の板垣家代々墓所にあり「板垣孫三郎、板垣退助三男、明治十九年七月一日死 享年満十ヶ月」と刻まれている。</ref>した。
*[[1889年]](明治22年)3月6日、[[小石川区]]金富町の[[福岡孝弟]]の養女となる形を経て、退助と婚姻、正妻となる。
*[[1889年]](明治22年)4月4日、退助の四男、板垣正實(いたがき まさみ)を産む。
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*[[1919年]](大正8年)7月16日、夫の板垣退助が83歳で薨去。
*[[1925年]](大正14年)5月15日、板垣正實が37歳で未婚のまま逝去。
*[[1938年]](昭和13年)4月13日薨去。享年80。法名は絹子の[[慈善事業]]の徳をぶ意味で、'''「慈徳院殿温良全貞大姉」'''と名づけられた。墓は[[東京]][[品川]]の[[東海寺 (品川区)|東海寺]]内の高源院([[品川神社]]裏、[[東京都]][[品川区]][[北品川]]3-7-15)にあり、退助の墓等と共に[[1978年]](昭和53年)11月22日[[品川区]]の[[史跡]]に指定されている。
 
== 逸話 ==