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「戦国大名」に関する研究は戦後の実証主義史学において深化するが、それに伴い戦国期における守護の位置づけについても再検討が行われ、戦国大名権力の背景には戦国大名による[[戦国法]]の制定とともに守護公権の存在が指摘され、勝俣鎮夫らによって戦国大名の領国支配をひとつの「[[地域国家]]」としてみなす試みも行われた。
 
一方で、戦国大名研究に対し[[矢田俊文 (歴史学者)|矢田俊文]]、[[今岡典和]]、[[川岡勉]]らは戦国大名領国の「地域国家」説を否定し、戦国期においても室町将軍体制や守護権威は存在し、「戦国期」の概念を15世紀半ばから開始された室町幕府の解体過程として位置づけ、16世紀初頭には守護権力の変質により「戦国大名」が出現するがあくまでも戦国大名は室町将軍体制の枠内に留まると評価し、戦国期の守護を「[[戦国期守護]]」として位置づけている。
 
戦国大名研究は主に東国を、戦国期守護論は畿内・西国を中心とした研究が展開されているため、現在に到るまで戦国大名・戦国期守護の認識には隔たりが存在し戦国期における守護の位置づけにも議論があるが、おおむね戦国期には室町将軍体制が一定の影響を及ぼしつつも、戦国大名は守護公権を必ずしも必要としない独自の大名権力を有していた点が指摘される。