「台湾の歴史」の版間の差分

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[[台湾]]は、東海([[東シナ海]])上にある島として古くから[[中国]]人にその存在を認識されていた。『[[三国志]]·呉志』、『[[隋書]]·流求伝』及び『[[文献通考]]』などに台湾を記録したとも考えられる記録があり、『[[隋書]]·流求伝』では「流求国在海中、当建安郡東、水行五日而至(流求国は海中に在り、建安群の東に当たり、水行こと五日にして至る)」と記載され、[[中華人民共和国]]の歴史学者は中国大陸と台湾との間の交渉の論拠としている<ref>『台湾省地図冊』 中国地図出版社 1ページ、『台湾簡史』 1996年10月 ISBN 7-5031-0391-4</ref>、しかしこの記述が台湾を記録したものか不明であるとし<ref>[http://www.taiwanus.net/history/1/01.htm 台湾古代名称]</ref>、流求とは[[琉球群島]]であるという反論もなされている<ref>柏楊 『中国人史綱』(中)同心出版社 170ページ ISBN 7-80716-121-3</ref>。現在台湾を記録したことが確実視される史料としては
『[[元史]]·瑠求伝』がある。台湾が何時の時代に中国の版図に編入されたかについては諸説があるが、澎湖諸島と台湾本島を区分して記述すれば、澎湖諸島は[[元 (王朝)|元代]]に[[澎湖寨巡檢司|巡検司]]が設置され[[福建省]]泉州府に隷属したというのが確実な記録であり、台湾本島は近域を航行する船舶の一時的な寄港地、あるいは[[倭寇]]の根拠地としての位置づけが[[明|明代]]まで続き、[[清|清代]]になり正式に中国版図に組み入れられたと{{要出典範囲|見なす傾向が台湾での主流である|date=2012年10月}}
 
=== [[オランダ植民統治時代 (台湾)|オランダ植民統治時代]]([[1624年]] - [[1662年]]) ===