「ジョゼフ・ボナパルト」の版間の差分

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[[コルシカ島]]の[[コルテ]]にて、カルロ・マリア・ブオナパルテ([[シャルル・マリ・ボナパルト]])と[[マリア=レティツィア・ボナパルト|マリア・レティツィア・ラモリーノ]]との間に、長男(夭折したのも含めると次男)として生まれる。出生時の名は'''ジュゼッペ・ナブリオン・ブオナパルテ'''('''Giuseppe Nabulion Buonaparte''')。[[ローマ]]駐在フランス大使などを歴任する。
 
[[1794年]][[8月1日]]、[[ジュリー・クラリー]]([[デジレ・クラリー]]の姉)と結婚。ジュリー(Julie)、[[ゼナイ・ボナパルト|ゼナイード]](Zénaïde)、シャルロット(Charlotte)の3女が生まれる。
 
[[フランス革命]]が勃発すると、革命政府によってヴィランドリー城(Château de Villandry)は差し押さえられた。のちに皇帝に即位したナポレオンは、この城をジョゼフに与えた。帝政開始とともに帝国顕官大選挙人に就任。