「長ラン」の版間の差分
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詳しい沿革としての確証には程遠いが、[[明治]]期の[[帝国海軍|大日本帝国海軍]]の[[軍服]]が7つボタンで丈が長かったことに関係するとされたり、300年以上前に[[鎖国]]だった[[日本]]で唯一[[海外]][[貿易]]が許されていた[[長崎]]に訪れた[[オランダ]]人[[宣教師]]の着ていた服が現在の長ランの'''原型を留めたままの始祖'''だと言われたりもしている。
主に[[流行]]ったのは1970 - 80年代で当時、国士舘大学や高校の応援団が着用していた事から始まり、国士舘高校の一部の生徒が暴走族にも所属していた事も重なって、当時の[[不良行為少年|不良]][[中高生
長ランの特徴は以下のものがある。
* [[詰襟]]が高い(ハイカラーと呼ばれ、主に6cmが基準)
* 前ボタンが
* 袖ボタンが多い(標準服が2 - 3つなのに対して4 - 7つ)
* その名の通り、丈が長い(上記の通り、膝の下または脛の辺りまで)
なお、
因みに、長さにおける属性の定義が存在する。
*'''極短ラン属''':極短ランのような、前ボタンが4つのもので腹部が見えるほど極めて短いもの。
*'''短ラン属''':短ラン・セミ短ランなど、前ボタンが5つあるもので袖丈よりも短いもの。
*'''中ラン属''':標準服より丈が若干長めで膝上までのもの。
*'''洋ラン属''':前述の通り、[[センターベント]]または[[サイドベント]]があり、裏地がサテン生地で刺繍を施したもの。
▲*'''長ラン属''':丈の高さが120~130cmのものが属する
== 7つボタンの制服を採用している学校 ==
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