「インド・パキスタン分離独立」の版間の差分

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このため、西の[[パンジャーブ地方]]と東の[[ベンガル地方]]はそれぞれインド・パキスタン両国に分割され、パンジャーブ地方は[[パンジャーブ州 (パキスタン)]]と[[パンジャーブ州 (インド)]](後にそこからさらに[[ハリヤーナー州]]や[[ヒマーチャル・プラデーシュ州]]、[[チャンディーガル]]が分割される)に、ベンガル地方は[[東パキスタン]]と[[西ベンガル州]]に分割されることとなった。この地理的分割の作業は、それまでインドに縁がなかった<ref>「国境線を引く責任者には、インドには縁もゆかりもないロンドンの弁護士が当たりました。彼は、もっぱら統計資料だけをたよりに赤い線を引きました。
 
こうして、そこに住む人々の文化や生活とは無関係に、新しい国境線が作られたのです。」[http://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/sekaishi/archive/resume035.html NHK高校講座 世界史 第35回 南アジアの独立 ~インド、パキスタン、バングラデシュ~]</ref>[[ロンドン]]の[[法廷弁護士]](バリスター)[[シリル・ラドクリフ]]([[:en:Cyril Radcliffe, 1st Viscount Radcliffe|Cyril Radcliffe]])にゆだねられ、このため分割線(分離独立後はそのまま[[国境]]となる)は[[ラドクリフ・ライン]]([[:en:Radcliffe Line|Radcliffe Line]])と呼ばれるようになった。なお、この分割線は独立当日まで公表されなかった。
 
なお、この分割線は独立当日まで公表されなかった。ベンガルでは[[1905年]]の[[ベンガル分割令]]に近い形での分離がなされた([[:en:Partition of Bengal (1947)|en]])が、パンジャーブでは分割の経験がなかったため、混乱はより大きくなった。
[[File:Partition of Punjab, India 1947.jpg|thumb|パンジャーブで鉄道車両からあふれる難民]]
[[File:Gandhi witnessing ravage of partition riots.jpg|thumb|暴動を調停するガンディー]]