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|campaignbox ={{Campaignbox 独ソ戦}}<br>{{Campaignbox 継続戦争}}
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'''銀狐作戦'''(ぎんぎつねさくせん、{{lang-de|Silberfuchs}})は[[ナチス・ドイツ]]と[[フィンランド]]が[[第2次世界大戦]]中に行った軍事作戦。主にドイツが作戦を行った。主要目的はフィンランドと[[ノルウェー]]国境から侵出し[[ソビエト連邦]]の重要港[[ムルマンスク]]奪取することであった。
 
作戦は3部に分けられた。最初の攻撃でノルウェーから[[ペツァモ]]のあたりを確保する{{仮リンク|トナカイ作戦|en|Operation Renntier}}(''Renntier'')を発起し、続いて北部の[[ノルウェー軍 (ドイツ)|ノルウェー軍]]による{{仮リンク|白金狐作戦|en|Operation Platinum Fox}}(''Platinfuchs'')と第36軍団とフィンランド第3軍による{{仮リンク|北極狐作戦|en|Operation Arctic Fox}}(''Polarfuchs'')が起こりを発動し、重要港湾であるムルマンスクの占領を狙った。しかし、ムルマンスクまでの進撃は成功せず、ムルマンスク港は大戦を通じて使われ続けた。
 
== 計画と準備 ==
[[File:Silberfuchs-plan.png|left|thumb|銀狐作戦の当初予定]]
1940年7月のノルウェー占領以後、ドイツはソ連とフィンランドの戦争が再開した際にソ連が占領下においていた旧フィンランド領[[ペツァモ]]の[[ニッケル]]鉱山の占領を{{仮リンク|トナカイ計画|en|Operation Renntier}}の名前で計画した<ref name=mj81/>。 ドイツは1940年9月以降、北部フィンランドを通過する兵員の移動と補給の権利を得ていた。
 
1941年1月、ドイツ将校{{仮リンク|エーリッヒ・ブッシェンハーゲン|en|Erich Buschenhagen}}はソ連に対して予定される[[バルバロッサ作戦]]においてフィンランド指導部と協力ができないか交渉するように命令された。
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第二段階および第三段階は共同で行われることとなった。
 
第二段階として北部ではノルウェーと呼ばれていた白金狐作戦によってイヴァロ国境警備大隊がペツァモから東進し、[[バレンツ海]]に面するムルマンスクに向かう予定であり、これはソ連第14軍の第14、第52狙撃師団の2個師団の抵抗が見込まれた。目的はムルマンスク占領であり、ロシアソ連軍を縛りつけ、[[サンクトペテルブルク|レニングラード]]近郊での作戦に参加させないことであった<ref name=mj817/>。
 
南部では、北極狐作戦によって{{仮リンク|騎兵将軍|en|General of the Cavalry (Germany)}}{{仮リンク|ハンス・ファイゲ|en|Hans Feige}}の率いる{{仮リンク|第36軍 (ドイツ)|en|German XXXVI Army Corps|label=ドイツ第36軍}}が[[クーサモ]]から東進し、{{仮リンク|サッラ|en|Salla}}・{{仮リンク|ウリンサルモ|en|Urinsalmo}}のラインに沿って攻撃する予定であり、第36軍のドイツ2個師団に加え169師団、第6SS山岳師団、フィンランド第6師団と2個特別編成戦車部隊が参加する予定であった。これらは第122狙撃師団に抵抗を受けると考えられた。計画では[[コラ半島]]南部の[[白海]]側にあるカンダラクシャを確保し、作戦に対抗して他の戦線から送られて来るだろう[[北部戦線 (ソ連軍)|北部戦線]]部隊の押し下げを試み、その過程でムルマンスクとコラ半島をソ連本土から切り離す計画であった<ref name=mj8795>Mann & Jörgensen (2002), p. 87-95</ref>。
 
これらの作戦に続いて[[継続戦争]]一部としてフィンランドの作戦が行われ、[[ラドガ湖]]近郊での攻撃、[[フィンランドのカレリア地峡再占領|カレリア地峡での攻撃]]などが行われ、さらに後には東カレリアでの攻撃も行われた。
 
== 展開 ==
ソ連攻撃のためのドイツ軍の到着は1941年6月7日から始まり、ノルウェーにいたドイツ[[第6SS山岳師団]]が6月7日に国境を越え始めた。さらに2個師団が南ノルウェーと[[シュティッティン]]から船舶で到着した。兵員は列車で[[ロヴァニエミ]]まで移動した。40,600人のドイツ兵は6月18日、東部の{{仮リンク|サッラ|en|Salla}}への移動を開始した。[[ドイツ空軍 (国防軍)|ルフトヴァッフェ]]もロヴァニエミ、{{仮リンク|ユヴァスキュラ空港|en|Jyväskylä Airport|label=ユヴァスキュラ}}、{{仮リンク|ウッティ (フィンランド)|en|Utti|label=ウッティ}}に集合した。
 
== トナカイ作戦 ==
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[[File:Falkenhorst ja Siilasvuo2.jpg|thumb|[[ニコラウス・フォン・ファルケンホルスト|ファルケンホルスト]]と[[ヤルマル・シーラスヴオ|シーラスヴオ]]]]
{{See also|白金狐作戦}}
6月29日、北部でディートルが白金狐作戦の攻撃を開始、これに対し、ソ連軍は2個師団からなる{{仮リンク|第14軍 (ソビエト軍)|en|14th Army (Soviet Union)|第14軍}}が待ち受けて抵抗した。ドイツの侵攻は遅く、ソ連軍はさらに1個師団とムルマンスク港から引き抜いた幾つかの海軍部隊によって前線を増強した。ソビエト連軍は陣地を固守し攻撃を上回るほ強く抵抗した。また、英国とソ連海軍によるドイツ船舶への一定の攻撃によってドイツの補給難しくさせた。9月22日、{{仮リンク|リスタ川|en|Zapadnaya Litsa River}}を渡ることを何度か試みた後、攻勢が挫かれた<ref name=mj817>Mann & Jörgensen (2002), p. 81-87</ref>。攻勢によってドイツ軍は10300人の兵士を失った<ref name=mj87>Mann & Jörgensen (2002), p. 87</ref>。前線はドイツ軍の攻勢の停止によってすぐさま落ち着き、塹壕を掘った。戦争の残りの期間、北部戦線は[[ヴィボルグ-ペトロザヴォーツク攻勢|1944年のソ連軍攻勢]]までスキーによる偵察と小競り合いを除けば比較的安定した状態で保たれた。
 
== 北極狐作戦 ==
{{See also|北極狐作戦}}
白金狐と平行して、北極狐作戦が7月1日に開始された。ドイツの国防軍歩兵師団で構成される{{仮リンク|第36軍 (ドイツ軍)|en|XXXVI Mountain Corps (Germany)|label=第36軍}}、[[第6SS山岳師団]]と小規模戦車部隊、フィンランド{{仮リンク|第3軍 (フィンランド)|en|Finnish III Corps (Continuation War)|label=第3軍}}{{仮リンク|第3師団 (フィンランド)|en|Finnish 3rd Division (Continuation War)|label=第3師団}}がサッラへ攻撃を開始した。
攻勢の目的はサッラを確保し、カンダラクシャに侵出、ムルマンスク鉄道を切断することだった<ref>Mann & Jörgensen (2002), p. 88</ref>。第36軍は北極圏での戦争に対応できた部隊でなく、活動に精彩を欠き非常に行動が遅かった。フィンランド軍は冬季装備を行っていたため、疲労し侵攻を停止するまでより早く、より遠くへと侵攻した。サッラの確保の後、カンダラクシャへの侵攻は鈍り途中で停止、ファイゲの軍は[[塹壕]]を掘った。北部戦線と同じく前線が膠着すると、スキー偵察と小競り合いのみになっていった。最終的に11月中旬に攻勢は停止した<ref>Mann & Jörgensen (2002), p. 93-95</ref>。
 
== 結果 ==
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ドイツの敗北は幾つかの理由に起因している。侵出を妨げるような地形で移動性確保のため道路に過剰依存したこと<ref name=mj81/>、適切な情報準備を失っていたために不完全な仮定に頼ったこと<ref name=mj81/>、長く希薄な情報伝達線、悪路と英ソによるドイツ船舶への攻撃による補給問題<ref>Mann & Jörgensen (2002), p. 85</ref>などの問題があり、これらに加えソ連軍による徹底的な抵抗により突破口が開けなかったことにより前線での停滞が不可避になった。
 
ムルマンスク港は戦争を通じて維持され続け、おおよそ全体の4分の1の[[レンドリース]]物資がこの港と[[アルハンゲリスク]]から受け取られた<ref>http://www.feldgrau.com/econo.html Of all the lend-lease aid, approximately 50% was delivered via the Pacific, 25% via Persia and 25% via the northern route to Archangel and Murmansk.</ref>。この港からの補給の到達は、ソ連が1941年の災厄からすばやく立ことを助けた。
 
北部での戦争は1945年5月まで続いた。1944年9月、フィンランドは講和し、[[ラップランド戦争]]が始まった。1944年10月、赤軍は{{仮リンク|ペツァモ-キルケネス作戦|en|Petsamo-Kirkenes Operation}}を開始し、北極圏のドイツ軍に対して決定的勝利を得た。