「プラネタリウム」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
22行目:
1923年、8月モデル1が完成してツアイス社内に設置された直径16mの漆喰で固められた16mの半球状のドームに投影された。1923年10月21日にドイツ博物館で一般公開された。<ref>[http://www.ips-planetarium.org/planetarian/articles/twothousandyr_Dream/twothousandyr_dream.html Hayden Planetarium]</ref>-->
 
世界初の近代的なプラネタリウムは、[[1923年]]、[[ハイデルベルク]]のバーデン天文台の主任研究員であった[[マックス・ヴォルフ]]と[[ドイツ博物館]]の[[オスカー・フォン・ミラー]]が、天体運行の再現による説明を行うために[[イェーナ]]の[[カール・ツァイス]]社に依頼し、ツァイス社の技師であったヴァルター・バウアースフェルトによって発明されたものである。「ツァイスI型」と名付けられたこの投影機は、北天用の1個の恒星球と惑星棚を備え、約4500個(おおよそ6等星まで)の投影を行うことができた。恒星原板の採用や、集光レンズを使用してドーム内に星像を投影するという現在の光学式(レンズ式)プラネタリウムの基本的原理は、この時点でほぼ完成している。この投影機はドイツ博物館に収蔵され、現在{{いつ|date=2012年7月}}<!-- See [[WP:DATED]] -->も展示されている。
 
=== 日本におけるプラネタリウムの歴史 ===
[[画像:akashi-jena.JPG|right|224px|thumb|稼動しているもので日本最古(1960年6月から52年間稼働中。2012年8月29日から日本最長記録更新。)のプラネタリウム投影機([[明石市立天文科学館]]のカール・ツァイス・イエナUPP23/3)]]
[[画像:Planetarium osaka city museum.jpg|right|224px|thumb|大阪市立科学館に展示されている日本最古のプラネタリウム投影機([[大阪市立科学館]]のカール・ツァイス・イェーナ社製「ツァイスII型」]]
[[日本]]で最初に設置されたプラネタリウムは、[[1937年]]に[[大阪市立電気科学館]](のちの[[大阪市立科学館]])に設置されたカール・ツァイス・イェーナ社製「ツァイスII型」である。これは、[[アジア]]で最初に設置されたプラネタリウムでもあった<ref>371937年3月13日から8919895月31日まで52年稼働し、現在は大阪・中之島の大阪市立科学館で展示されている。</ref>。同型が1938年に有楽町の[[東日天文]]に設置されたが1945年戦災で失した。
 
戦後、1957年には東京・渋谷[[天文博物館五島プラネタリウム]]<ref>旧西ドイツ・オーバーコッヘンの[[ツァイス]]製カール・ツァイスIV型。2001年3月閉館。現在はコスモプラネタリウム渋谷に展示中。</ref>601960には兵庫県明石市に[[明石市立天文科学館]]<ref>旧東ドイツ・イエナ製カール・ツァイス製、・イエナUPP23/3型。稼働期間52年、現役。</ref>621962には名古屋市に[[名古屋市科学館]]のプラネタリウム<ref>旧西ドイツ・オーバーコッヘンの[[ツァイス]]製カール・ツァイスIV型、現在は同所に展示中。</ref>が開館するした
 
日本国産として最初に開発されたプラネタリウムは、[[五藤光学研究所]]が[[1959年]]に製作したM-I型投影機(当時の価格で約800万円)である。この投影機は[[静岡県]]清水市(のちの[[静岡市]][[清水区]])の富士観センターや東京・[[浅草]]の新世界などに設置され、うち1台は[[1960年]]ニューヨークの国際見本市に出品、見本市終了後にコネチカット州のブリッジポート博物館へ販売され、[[1962年]]に一般公開された。
37行目:
現在{{いつ|date=2012年7月}}<!-- See [[WP:DATED]] -->、五藤光学研究所と[[コニカミノルタプラネタリウム]]は、2社を合わせて世界のプラネタリウムの半数近いシェアを抱えるトップメーカーとなっている。
 
また、[[大平貴之]]が個人で製作し、[[1998年]]にロンドンで初公開された[[メガスター]]は、従来比100倍に相当する投影恒星数150万個を再現し、世界のプラネタリウム専門家を驚かせた。その後、本人により設立された大平技研によって開発・運用されているメガスターIIは、恒星投影数約500万個(12.5等星まで)に拡張され、[[日本科学未来館]]や[[川崎市青少年科学館]]などに設置されて話題となった。さらに[[2008年]][[6月]]、[[シカゴ]]で行われたIPS(国際プラネタリウム協会)大会で初めて発表されたスーパーメガスターIIは、約2200万個(13等星まで)の恒星を投影することが可能で、2009ある。201227現在7日に投影を開始した東京の[[多摩六都科学館]]のプラネタリウム([[五藤光学]]製、直径27.5m)は世界一であ最多の1億4,000万個の恒星を投影する。
 
2006年現在、プラネタリウムを最も多く保有している国は[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で約1200基、その次に[[日本]]の約300基が続いている。
 
2006年現在、プラネタリウ投影用のドーを最も多く保有している国[[アメリカ合衆国|アメリカ]]でその次に[[日本]]の約300基が続いている。[[2011年]][[3月]][[名古屋市科学館]]に新設された直径35[[メートル]]のものが、現在{{いつ|date=2012年7月}}<!-- See [[WP:DATED]] -->世界最大である。名称はブラザーアース([[ブラザー工業]]が[[ネーミングライツ]]を獲得)。
 
2006年現在、プラネタリウムを最も多く保有している国は[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で、その次に[[日本]]の約300基が続いている。[[2011年]][[3月]]、[[名古屋市科学館]]に新設された直径35[[メートル]]のものが、現在{{いつ|date=2012年7月}}<!-- See [[WP:DATED]] -->世界最大である。名称はブラザーアース([[ブラザー工業]]が[[ネーミングライツ]]を獲得)。
 
2012年7月7日に投影を開始した東京の[[多摩六都科学館]]のプラネタリウム([[五藤光学]]製、直径27.5m)は世界最多の1億4,000万個を投影する。
 
== 投影される内容 ==
63 ⟶ 65行目:
;レンズ式投影機
:恒星球に内蔵された'''恒星原板'''と呼ばれる恒星の座標・等級に応じた小穴を開けた薄い金属箔(全天を32分割して、32枚の恒星原板を用意する)に光源の光を通し、その光をさらに集光[[レンズ]]を通して集約し、ドーム内に投影する方式。ピンホール式に比べて光の経路はより複雑になり、多くのレンズを恒星球に仕込まなければならない関係上、軽量化・小型化・低価格化が難しいものの、ピンホール式よりシャープな星像を容易に得ることができ、また恒星原板さえ作成できれば投影する恒星の増加にも対応可能である。現在、プラネタリウム投影機の主流を成している方式である。近年では、カール・ツァイスの投影機などでは光源から恒星原板へ光を導くための導光路として、[[光ファイバー]]を使用するものもある。これにより、等級に応じて光の強度を変えることができるため、星像がよりシャープになる。また、従来は光源からの光の9割以上は無駄になっていたが、光の利用効率が高まるという利点もある。この結果、光源ランプの出力が少なくて済み、消費電力を減らすことができるようになったが、光ファイバーを恒星原板に直接植え付ける構造のため、光学系の小型化や再現できる恒星数に限界がある点も否めない。半導体製造技術で発達した微細加工技術を応用して導光路を形成する方法も開発されつつある。
:2012年現在、世界でレンズ式光学投影機を製作しているメーカーは[[五藤光学研究所]]、[[コニカミノルタプラネタリウム]]、[[カール・ツァイス]]、[[大平貴之|大平技研]]の4社のみである。
 
;惑星投影機群