「仙台宮城野原競馬場」の版間の差分

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==明治44年4月の開催==
東宮殿下の行啓とあって仙台は大きく湧きかえっていた。明治44年4月20日付[[河北新報]]によれば、「奉迎拝観者雲の如く、旭旗翻り歓声沸く」と報じられている。先にも述べたとおり東宮殿下の目的は陸軍参謀本部旅行演習の視察であったが、その他にも知事との対談、小学校の運動会の台覧など多くの行事が予定されており、仙台宮城野原競馬場での競馬開催もその行事の中の一つであった。
開催者である仙台産牛馬組合は一週間程前より[[新聞]]掲載により出馬希望者を募っていた。その番組表は下記の通りである。
 
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4月25日午前9時より、仙台宮城野原競馬場で第一回の競馬が開催された。宮城県の公式競馬として、初の開催である。
前日の快晴とはうって変わっての小雨模様であった。東宮殿下お成り到着は午後からであったが、未明より見物人が集まり会場周囲は寸隙も無いほどに埋め尽くされた。その様子は前日に行われた「小学校の運動会に劣らざる」と河北新報に報道されているので、運動会と同程度の3万人の群衆が集まっていたものと思われる。
10時より第一競走が発走、「血沸き肉踊る」競走が繰り広げられた。観衆は目の前を馬が通過すると大歓声をあげ、開催は盛況を呈した。11時頃、雨足が激しくなり開催継続が危ぶまれる所もあったが13時には全く雨が止み、又、東宮殿下お成り到着も近いとあって観客はさらに増えていった。13時30分、東宮殿下が到着し、第7競走より競走を観戦した。東宮殿下前とあって、馬上の[[騎手]]は皆勇み立ち、ますます壮烈な競馬が繰り広げられた。
15時頃、再び雨脚が強まり帽子の色が識別できないほどの雨となったが、優勝競走は予定通り行われ、16時には閉会となった。
東宮殿下は自身にも[[乗馬]]の心得があった事もあり、競走中は立ち上がって観戦し、競走の度に御付の武官と馬を指さして話をするなど、この日の競馬観戦は非常に熱心だったようである。又、競走の合間を待ちかねて幕の隙間より裏手の馬の係留所を覗こうとするなど、闊達であったという[[大正天皇]]の人柄を表しているエピソードも報じられている。
 
[[File:明治44年4月25日宮城野原.jpg|300px|right|thumb|明治44年4月27日付[[河北新報]]に掲載された写真]]