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m 1914年に撮影されたフランスの重騎兵の写真を貼り付けました
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[[File:Ottoman Mamluk horseman circa 1550.jpg|thumb|right|250px|[[オスマン帝国]]の[[マムルーク]][[重騎兵]](1550年頃)]]
[[ファイル:French heavy cavalry Paris August 1914.jpg|thumb|220px|[[パリ]]を行進するフランスの重騎兵隊(1914年8月)]]
'''重騎兵'''(じゅうきへい, heavy cavalry)は、鎧で重武装した[[騎兵]]である。
 
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中国における[[南北朝時代 (中国)|南北朝時代]]の北朝や[[隋]]の他、[[遼]]や[[西夏]]・[[金 (王朝)|金]]といった周辺異民族の王朝では軽騎兵よりも金属鎧を着込み馬に馬鎧を付けて突撃を行う重騎兵(鉄騎)が重要な地位を占めた。[[東ローマ帝国]]でも馬にも甲冑を帯びた[[カタフラクト]]が軍の主力となった。[[モンゴル帝国|モンゴル軍]]や、初期[[イスラム帝国]]〜[[オスマン帝国]]を通して[[西アジア|アラブやペルシャ]]の諸国家は軽騎兵による騎射と重騎兵による突撃を巧みに使い分けた。
 
中世ユーラシアでは主に遊牧民から構成された[[突厥]]や[[モンゴル]]、[[ティムール朝]]、[[オスマン帝国]]などが、軽騎兵による騎射と重装備を施された重騎兵による突撃を駆使して、東西に広がる広大な版図を征服した。ヨーロッパでも[[レヒフェルトの戦い]]において重装備の[[騎士]]の軍が数で倍する[[軽騎兵]]で構成された[[マジャル人|マジャール人]]の軍を打ち破るなど、重騎兵が大きな力を発揮し軍事上重要な地位を占めた。[[百年戦争]]後期フランスの騎士などは非常に重い[[馬鎧]]を馬に着せたため頑強な防御力を誇ったが、その分機動力が低下したため、[[アジャンクールの戦い]]では射程のある長弓[[ロングボウ]]の連射により次々と討たれたと言われる。
 
近世に入ると、ヨーロッパでは[[火器]]の発達により重装の槍騎兵は廃れたが、自らも火器を活用するようになった騎兵は依然として一線で活躍した。スペインとポーランドを除いた諸国では16世紀末までに騎兵はピストルとサーベルを装備することになった。<ref>学研 歴史群像グラフィック戦史シリーズ 戦略戦術兵器事典3 ヨーロッパ近代編p80</ref>なお、16世紀半ばからスペインは騎兵に小銃を装備させていた。この時代の重騎兵は胸甲(キュイラス)を身にまとっていたことから[[胸甲騎兵]](cuirassier)と呼ばれ、崩れかけた敵陣を突撃によって粉砕するといった役割を負った。