「ジエゴ・リバス・ダ・クーニャ」の版間の差分

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*2010年からユヴェントスを指揮する[[ルイジ・デル・ネーリ]]監督は新シーズンにジエゴをセカンドトップで使用することを明言し、ジエゴのヴォルフスブルクへの移籍を拒んでいた<ref>[http://www.goal.com/jp/news/122/移籍情報/2010/08/19/2077206/デルネーリジエゴは残る デルネーリ:「ジエゴは残る」]</ref>。また、2009-2010シーズンにユヴェントスを指揮した[[チロ・フェラーラ]]はジエゴの移籍について「私ならジエゴを売らない」と言及している。
*規律より個を重視するブラジル人選手の気質が強く、2010年2月に監督代行の[[ピエール・リトバルスキー]]はPKのキッカーに別の選手を指名したが、ジエゴはこれを無視しPKを外している。本人曰く「自ら獲得したPKを俺が蹴って何が悪い?」と主張している。リトバルスキーは罰金制裁も考えていたが1試合の出場停止にとどめた<ref>[http://footballweekly.jp/archives/1585907.html]</ref>。
*2004年6月、アテネ五輪の出場権を争っていた南米予選では、カカとアドリアーノがクラブの供出拒否により招集できず、ジエゴとロビーニョにかかる期待が大きかった。 地元のチリ戦では勝利したがアルゼンチンに敗れ、引き分け以上で2位が確定する試合でもパラグアイに敗れ1992年以来、3大会ぶりに五輪出場をのがす結果となり、ブラジル国内でジエゴに批判が集中した。この予選でジエゴは、ダニエル・カルバーリョ、ダゴベルト、ロビーニョ、ドゥドゥ・セアレンセと中盤を形成する核となっていたが、大会で使用される公式写真の撮影中にふざけて短パンを降ろしあっていた様子などがそのまま公式ホームページに掲載されたことをきっかけに、精神面での未熟さが指摘され批判の的にされ、事態を重く見たCBFがメディア規制に踏み切ったほどだった。 予選敗退をきっかけに、リカルド・ゴメス監督の「U-22の実態はU-19」と揶揄される若手中心の選手招集が問題となり、選手への批判から監督への責任追及へと世論が動き、U-23監督の交代という結果へ結びついた。
 
== 所属クラブ ==