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Wokdnad (会話 | 投稿記録)
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益州に入った劉備から昭徳将軍に任命され、糜竺の次で孫乾と並ぶ待遇を受けたという(「孫乾伝」)。
 
簡雍は非常に大らかな人物であった。また、傲慢無頓着な性格で、劉備が出席する席でもだらしない振る舞いを止めなかった。また、[[諸葛亮]]達に対しても全く遠慮をせず、自分だけ長椅子を占領した上で寝そべったまま談笑をしたりした。一方で、機智に富んだ性格でもありまた、劉備が厳しすぎる[[禁酒令]]を出した時は、ユーモアを交えてこれを諌め、劉備を笑わせるとともに、禁令を止めさせている。
 
簡雍の没した時期は不明だが、[[219年]]に劉備を漢中王に推挙した群臣達の中にも、[[221年]]に劉備を皇帝に擁立した群臣達の中にも簡雍の名は見えない。
 
=== 禁酒令での逸話 ===
当時旱魃(水不足)で禁酒令が出ていた際、酒造道具を所持していたというだけで、役人がこれを逮捕し告発した事があった。ある日簡雍が劉備と共に市街を歩いていた時、簡雍は道行く男女を見て「あの二人を淫行の罪を犯そうとしているのに、何故捕らえないのですか?」と尋ねた。劉備は「何故それが分かるのか?」と尋ねると、簡雍は「あの者達は淫行の道具を持っていますから…」と答えた。劉備は大笑いし、酒造道具の所持者を赦す事にしたという。
 
== 三国志演義 ==