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'''藤原 沢子'''(ふじわら の たくし、生年詳 - [[承和 (日本)|承和]]6年[[6月30日 (旧暦)|6月30日]]([[839年]][[8月12日 (旧暦)|8月12日]]))は、[[藤原総継]]と[[藤原数子]]の娘で[[仁明天皇]]の[[女御]]。[[光孝天皇]]の生母。姉妹の[[藤原乙春|乙春]]は[[藤原長良]]室となり、[[藤原基経|基経]]および[[藤原高子|高子]]を産む。
 
== 生涯 ==
仁明天皇即位前からの妃で、夫が即位すると[[天長]]10年([[833年]])に女御になった。仁明天皇の寵愛は深く、[[天長]]5年([[828年]])に[[宗康親王]]、天長7年([[830年]])に時康親王(のちの[[光孝天皇]])、天長8年([[831年]])に[[人康親王]]を出産した。また[[新子内親王]]をもうけている。[[従四位]]下。承和6年([[839年]])4月、宮中でにわかに病となり、危篤となり車で里第に運ばれるも、そのまま6月30日に薨去。同年、[[従三位]]を追贈され
 
のちの[[元慶]]8年(884年)に所生の時康親王が[[光孝天皇]]として即位すると、同年に[[皇太后]]を追贈された。
 
== 参考文献 ==
*『日本女性人名辞典』日本図書センター
*[[安田政彦]]『平安時代皇親の研究』、吉川弘文館、1998年
 
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[[Category:藤原北家末茂流|たくし]]
[[Category:平安・鎌倉時代の皇族]]
[[Category:生年不明]]