「1991年東京都知事選挙」の版間の差分

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[[パリ]]仕込みの「キザ」が看板だった磯村も、下町の[[銭湯]]で年寄の背中を流すパフォーマンスを報道陣に公開するなど、庶民派をアピールして成り振り構わぬ選挙戦を展開したが、批判票分散に乗じて鈴木が悠々と4選を果たした。
 
党内混乱の責任を負わされ統一地方選全体では勝利し自民党だが、[[自由民主党幹事長|自民党幹事長]]の[[小沢一郎]]は都知事選での失敗を理由に自ら申し出て辞任する。このことは分裂選挙追い巻きんだ公明党に対する小沢の義理立てともなり、小沢と公明党の関係強化につながった。た無役となった小沢は所属する[[平成研究会|経世会]]の会長代行に就任し、後の政界再編へと動く契機になった。
 
[[1955年東京都知事選挙|1955年]]から9回連続で立候補し続けた[[赤尾敏]]が前年に死去し、[[1971年東京都知事選挙|1971年]]を除き6回連続の[[深作清次郎]]も姿を消して、[[泡沫候補|常連候補]]の一角が欠けた代わりに、[[ミニ政党]]の推薦を束ねた[[中松義郎]]が[[無所属]]で初挑戦したのを始め、16候補が出馬する活況を呈した。