削除された内容 追加された内容
DarafshBot (会話 | 投稿記録)
m r2.7.1) (ロボットによる 変更: ru:Этиго (провинция)
→‎沿革: 近代以降の沿革
10行目:
 
大和政権は蝦夷地における版図拡大に城柵を設けて、南の地域の人民を移民し、開発と村づくりに当たらせ公民とし、郡を設置した。越後に設置された城柵は、647年(大化3年)渟足柵(新潟市か)、648年(大化4年)磐舟柵(新潟県村上市か)である。
 
=== 近代以降の沿革 ===
{{main|越後府}}
* 「[[旧高旧領取調帳]]」に記載されている[[明治]]初年時点での国内の支配は以下の通り。'''太字'''は当該郡内に[[藩庁]]が所在。国名のあるものは[[飛地]]領。
** [[頸城郡]] - 幕府領、'''[[高田藩]]'''、'''[[糸魚川藩]]'''
** [[魚沼郡]] - 幕府領、糸魚川藩、[[陸奥国|陸奥]][[会津藩]]、[[伊勢国|伊勢]][[桑名藩]]
** [[刈羽郡]] - 幕府領、旗本領、'''[[椎谷藩]]'''、[[越後長岡藩|長岡藩]]、[[与板藩]]、高田藩、陸奥[[上山藩]]、伊勢桑名藩
** [[三島郡 (新潟県)|三島郡]] - 幕府領、旗本領、長岡藩、'''与板藩'''、[[村上藩]]、陸奥上山藩、陸奥会津藩、伊勢桑名藩
** [[古志郡]] - 幕府領、'''長岡藩'''、伊勢桑名藩
** [[蒲原郡]] - 幕府領、旗本領、'''[[新発田藩]]'''、'''[[三日市藩]]'''、'''[[黒川藩]]'''、村上藩、'''[[村松藩]]'''、長岡藩、'''[[三根山藩]]'''、与板藩、陸奥会津藩、[[上野国|上野]][[高崎藩]]、[[駿河国|駿河]][[沼津藩]]、伊勢桑名藩
** [[岩船郡]] - 幕府領、[[一橋徳川家]]領、'''村上藩'''、陸奥会津藩
* [[慶応]]4年
** [[4月19日 (旧暦)|4月19日]]([[1968年]][[5月11日]]) - 幕府領・旗本領が'''新潟裁判所'''の管轄となる。
** [[閏]][[4月29日 (旧暦)|4月29日]](1868年[[6月19日]]) - [[戊辰戦争]]で新政府軍が桑名藩の陣屋がある刈羽郡柏崎を制圧。
** [[5月23日 (旧暦)|5月23日]](1868年[[7月12日]]) - 幕府領・旗本領・桑名藩領が'''[[越後府]]'''(第1次)の管轄となる。
** [[7月27日 (旧暦)|7月27日]](1868年[[9月13日]]) - 頸城郡・魚沼郡・刈羽郡・三島郡・古志郡の幕府領・旗本領・桑名藩領が'''[[柏崎県]]'''(第1次)の管轄となる。
* 明治元年
** [[9月12日 (旧暦)|9月12日]](1868年[[10月27日]]) - 沼津藩が[[転封]]により[[上総国|上総]]'''[[菊間藩]]'''となる。国内の領地は引き続き管轄。
** [[9月21日 (旧暦)|9月21日]](1968年[[11月5日]]) - 越後府(第1次)が改称して'''[[越後府|新潟府]]'''となる。
** [[9月22日 (旧暦)|9月22日]](1868年[[11月6日]]) - [[会津戦争]]で会津藩が新政府軍に降伏して領地を没収され、後の東蒲原郡域を除く領地が新潟府の管轄となる。
** [[10月1日 (旧暦)|10月1日]](1868年[[11月14日]]) - 蒲原郡の一部(後の東蒲原郡域)が'''若松民政局'''の管轄となる。
** [[11月5日 (旧暦)|11月5日]](1868年[[12月18日]]) - 柏崎県を廃して新潟府に合併することが布達される(実行されず)。
** [[12月7日 (旧暦)|12月7日]]([[1869年]][[1月19日]]) - 蒲原郡の一部(後の東蒲原郡域)の郷村高帳の引き継ぎ以外の事務が上野[[館林藩]]の管轄となる。
** [[12月23日 (旧暦)|12月23日]](1869年[[2月4日]]) - 蒲原郡の一部(後の東蒲原郡域)の事務が館林藩と[[羽前国|羽前]][[新庄藩]]の共同管理となる。
* 明治2年
** [[2月8日 (旧暦)|2月8日]](1869年[[3月20日]]) - 岩船郡および蒲原郡の一部(後の東蒲原郡域と新潟町を除く区域)が'''越後府'''(第2次)の管轄となる(新潟町は新潟府管轄のまま)。
** [[2月22日 (旧暦)|2月22日]](1869年[[4月3日]])
*** 新潟府が'''[[越後府|新潟県]]'''(第1次)に改称。
*** 再度柏崎県を廃止する布達が出され、'''[[越後府]]'''(第2次)に合併。
** [[5月4日 (旧暦)|5月4日]](1869年[[6月13日]]) - 蒲原郡の一部(後の東蒲原郡域)が'''[[若松県]]'''の管轄となる。館林藩・新庄藩の管轄も終了。
** [[6月24日 (旧暦)|6月24日]](1869年[[8月1日]]) - 任[[知藩事]]にともない、糸魚川藩が'''[[清崎藩]]'''に改称。
** [[7月27日 (旧暦)|7月27日]](1869年[[9月3日]]) - 新潟府・越後府が廃止され、藩領および蒲原郡の一部(後の東蒲原郡域)を除く全域が'''[[水原県]]'''の管轄となる。
** [[8月25日 (旧暦)|8月25日]](1869年[[9月30日]]) - 旧・柏崎県の管轄地が'''柏崎県'''(第2次)の管轄となる。
* 明治3年
** [[3月7日 (旧暦)|3月7日]]([[1870年]][[4月7日]]) - 水原県が廃止され、同区域が'''[[新潟県]]'''(第2次)の管轄となる。
** 7月 - 長岡藩領・三根山藩領・与板藩領・高崎藩領を除く全域で大規模な領地替えが行われ、新潟県・新発田藩領・村上藩領・黒川藩領・三日市藩領が再編。菊間藩領が消滅。三島郡のうち村上藩領の一部(22村)が新潟県の管轄となる。
** [[10月22日 (旧暦)|10月22日]](1870年[[11月15日]]) - 長岡藩が廃藩となり、領地のうち蒲原郡が新潟県、残部が柏崎県の管轄となる。
** [[10月29日 (旧暦)|10月29日]](1870年[[11月22日]]) - 三根山藩が改称して'''[[峰岡藩]]'''となる。
* 明治4年
** [[7月14日 (旧暦)|7月14日]]([[1871年]][[8月29日]]) - [[廃藩置県]]により藩領が'''[[高田県]]'''、'''[[清崎県]]'''、'''[[椎谷県]]'''、'''[[与板県]]'''、'''[[新発田県]]'''、'''[[黒川県]]'''、'''[[三日市県]]'''、'''[[村松県]]'''、'''[[峰岡県]]'''、'''[[村上県]]'''および[[上山県]]、[[高崎県]]の飛地となる。
** [[11月20日 (旧暦)|11月20日]](1871年[[12月31日]]) - 第1次府県統合により蒲原郡の一部(後の東蒲原郡域)を除く区域が'''新潟県'''(第2次)の管轄となる。
* 明治6年([[1873年]])[[6月10日]] - 柏崎県が廃止され、蒲原郡の一部(後の東蒲原郡域)を除く全域が'''新潟県'''の管轄となる。
* 明治9年([[1876年]])[[8月21日]] - 第2次府県統合により蒲原郡の一部(後の東蒲原郡域)が'''[[福島県]]'''の管轄となる。
* 明治19年([[1886年]])[[5月27日]] - 福島県東蒲原郡が新潟県の管轄となる。
 
== 国内の施設 ==