「ヘイダル・モスレヒー」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
編集の要約なし
1行目:
'''ヘイダル・モスレヒー'''({{Rtl翻字併記|fa|حیدر مصلحی|Heydar Moslehi}}、[[1956年]][[9月29日]] - )は、[[イラン]]・[[エスファハーン]]出身の[[政治家]]。現[[イラン]]情報相。[[ホッジャトルエスラーム]]である<ref>{{Cite news|url=http://www.irandailybrief.com/2012/07/24/intelligence-minister-cia-and-mossad-behind-assassination-of-nuclear-scientist-in-2011/
'''ヘイダル・モスレヒー'''({{Rtl翻字併記|fa|حیدر مصلحی|Heydar Moslehi}}、[[1956年]][[9月29日]] - )は、[[イラン]]・[[エスファハーン]]出身の[[政治家]]。[[イラン]]情報相。当初2009年8月5日に任命されたが、同国の[[アフマディーネジャード]][[イランの大統領|大統領]]に促され2011年4月17日に辞任。[[イランの最高指導者|最高指導者]][[アリー・ハーメネイー]]の命で同ポストに復帰した。アフマディーネジャード大統領はモスレヒーの復職に抗議し閣議招集を拒否<ref>ehghan, Saeed Kamali (27 April 2011). "Iran's president and supreme leader in rift over minister's reinstatement". The Guardian. Retrieved 29 April 2011.</ref>。2011年4月の時点ではモハンマド・レザー・ラヒーミー[[副大統領]]が大統領抜きで閣議を開催している<ref>"Iran: Cabinet convenes without Ahmadinejad for second time". Radio Zamaneh. 28 April 2011. Retrieved 29 April 2011.</ref>。同年4月27日、イラン国会はモスレヒを情報相として承認。米[[ニューヨーク・タイムズ]]紙はモスレヒーの辞任騒動は、同氏が情報機関の某職員解任を試みたことを発端とする、[[エスファンディヤール・ラヒーム・マシャーイー]]との論争によるものとする憶測について報道した<ref>Yong, William (23 April 2011). "Iranian Leader Asserts Power Over President". New York Times. Retrieved 29 April 2011.</ref>。
|title=Intelligence Minister: CIA and Mossad behind assassination of nuclear scientist in 2011
|publisher=Iran Daily Brief
|date=2012-07-24
|accessdate=2012-11-06
}}</ref>。
 
== 経歴 ==
モスレヒは1956年、イランのエスファハーンで生まれた。ハガーニー神学校に学び、数年の外国[[留学]]の後、[[国際法]]の[[修士号]]を得た。
 
モスレヒは、2005年にアフマディーネジャードが大統領に選出されるまでバスィージにおける最高指導者アリー・ハメーネイー師の代表を務めていた。大統領に選出されたアフマディーネジャードはモスレヒーを自身の聖職者顧問として迎え入れた。同氏は後に、ハーメネイー師によりイスラム基金機構の責任者に任命された<ref>Sahimi, Muhammad (20 August 2009). "Ahmadinejad's Security Cabinet". PBS. Retrieved 29 April 2011.</ref>。2009年8月5日情報大臣に任命されたが、同国の[[アフマディーネジャード]][[イランの大統領|大統領]]より情報相促され2011年4月17日。[[イランの最高指導者|最高指導者]][[アリー・ハーメネイー]]のされで同ポストに復帰し。アフマディーネジャード大統領はモスレヒーの復職に抗議し閣議招集を拒否<ref>Sahimiehghan, MuhammadSaeed Kamali (2027 AugustApril 20092011). "AhmadinejadIran's Securitypresident and supreme leader in rift over minister's reinstatement". The Guardian. Retrieved 29 April 2011.</ref>。2011年4月の時点ではモハンマド・レザー・ラヒーミー[[副大統領]]が大統領抜きで閣議を開催している<ref>"Iran: Cabinet convenes without Ahmadinejad for second time". PBSRadio Zamaneh. 28 April 2011. Retrieved 29 April 2011.</ref>。同年4月27日、イラン国会はモスレヒーを情報相として承認。米[[ニューヨーク・タイムズ]]紙はモスレヒーの辞任騒動は、同氏が情報機関の某職員解任を試みたことを発端とする、[[エスファンディヤール・ラヒーム・マシャーイー]]との論争によるものとする憶測について報道した<ref>Yong, William (23 April 2011). "Iranian Leader Asserts Power Over President". New York Times. Retrieved 29 April 2011.</ref>。
 
== 声明 ==
モスレヒ情報相は[[イスラム共和国]]に対し全面的かつ多面的な戦争が仕掛けられており、「敵」は今や新たな戦法を取りつつあると表明している。
 
イラン学生通信(ISNA)は、ヘイダル・モスレヒ情報相が[[イスラム文化]]・コミュニケーション機構での演説で、「イスラム共和国の視点から見た場合、同共和国に対する全面戦争があらゆる側面から仕掛けられており、同共和国に対するあらゆる戦線での広範な敵の計画が脅威と脆弱さを生み出し、敵に付け入る隙を与えている」と語った。
 
モスレヒ情報相は[[インターネット]]上の[[ソーシャル・ネットワーク]]の広がりを「新たな脅威」と表現。インターネットサービスは利用者の情報を引き出すことを意図するものと主張。