「因果性」の版間の差分

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また[[相対性理論]]では「[[情報]]は光速を超えて伝播することは無く、光速×時間の分以上離れた距離にある二つの物理系には、時間をさかのぼって情報が飛ぶ事無しに、上記の時間内に情報のやり取りは起こらない」とされている。物理学の範疇ではこの「光速を超える情報の伝播は存在しない」という相対論の想定を指して因果律と呼ぶことも行われている<ref name="ingaritu" />。
 
相対性理論を越えるようにして現れた[[量子力学]]は、古典的な意味での因果律は成り立っていないと明らかにした<ref name="h_hiketteisei">平凡社『西洋思想大事典』【因果性】p.595</ref>。量子力学の[[実験]]によって、初めの状態(原因)が与えられても測定値が一義的に決まらない、また、逆にある測定値が与えられても、もとの状態が何であったかを言うことができない、ということが明らかになった<ref name="ingaritu" />。状態が与えられても、言えることは確率だけだ、ということが明らかになった<ref name="ingaritu" />。「決定できないのは原因の指定が足りないのでは(隠れた変数があるのでは)」と期待する人がいたが、しかし様々な実験の結果、隠れた変数は無い、ということが分かった<ref name="ingaritu" />。つまり、量子力学によって、初めの状態を完全に指定しても観測結果は確定した値をとらない、ということが判ったのである<ref name="ingaritu" />。
<!--日常に比べて極めて小さいスケールでは物理を論じるに当たって[[量子力学]]が必要となるが、
量子論が必要な極小の世界では古典的な意味での因果律は完全には成り立っていない<ref name="h_hiketteisei">平凡社『西洋思想大事典』【因果性】p.595</ref>。-->
上は分かりやすく噛み砕いた説明だが、同じことをPeskinらの次のように専門用語を用いて次のように説明した。量子論では[[不確定性原理]]の許す範囲でならば[[運動量]]や[[エネルギー]]運動方程式に従わない値を取ることが可能である。り、運動方程式の解である状態関数は全ての実現可能な状態の中から運動方程式が示す状態が実現している確率振幅しか与えず、運動方程式によって全ての運動が一義的に決まることは無い<ref>Peskin, Schroeder A Introduction to Quantum Field Theory 2章 他 </ref>。
 
ところで、科学の歴史において、有力とされ、検証を重ねられてきたと信じられて、用いられてきた古典力学的な[[物理法則]]・理論等は、(少なくとも見かけ上の)因果律を採用しなければ成立していない、使えないので、量子力学が発展ともに因果律が成立してない、とされたことになる。よって、旧来の道具に執着する立場からすれば「もし厳密さを要求されるとなると、せっかくの便利な道具([[法則]]・理論等)が使えない、ということになってしまう」という感想も出てくることになった
 
=== 歴史 ===
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20世紀も半ばになると、[[確率論]]、[[統計学]]、[[量子力学]]も大きな発展をとげ、特に[[量子力学]]は、全ての事象は(先行する物理的状態と結びつけることは困難なしかたで)確率的に起きている、ということを実証し、因果律という考え方は後退することになった。[[ニールス・ボーア]](1885- 1962)も、"因果律"というのは、あくまで人間的なスケールにおいて限定的に、あたかも成り立っているように見えているにすぎない、[[近似]]として成り立っているにすぎない、微視的なスケールでは成り立っていない、と釘をさした。<ref>ニールス・ボーア 『ニールス・ボーア論文集〈1〉因果性と相補性』岩波文庫</ref>
 
なおごく最近では(標準的でない[[解釈]]であるが)『「時間軸上のある一点において状態関数が決まれば以降の状態関数は自然に決まる」「因果律によって運動が完全に決定するのではなく状態関数が完全に決定する、と解釈すれば、量子論的領域でも因果律は保たれる(保たれると見なせる)』と主張する人{{誰|date=2012年11月}}がいる{{いつ|date=2012年11月}}<ref name="ueda">上田正仁 現代量子物理学 他</ref>。「一見因果律が破れているように見える思考実験であるEPR相関においても、実際光速を超えているのは状態関数の波束の収束速度であり、状態関数そのものが演算子によって書き換えられる(つまり情報を受け取る)わけではないのだから、因果律は保たれている<ref name="ueda" />(と考えることも可能なのだ)」といった内容の主張である。
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{{要出典}}また自然法則としての因果律に対する逆説的立場としては、「因果律は絶対的な自然法則ではないが、現在われわれがいるこの世界には、結果的に因果律を成立せしめるような何らかの要素が存在しているため見かけ上そのように見えるのだ」という論理を展開することも不可能では無い{{要出典}}と述べる人もいる。(例えば、「超越的な全能の存在」の意志を仮定する。