「合浦公園」の版間の差分

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==沿革==
*1880年津軽旧弘前お抱えの庭だった水原衛作が公園の必要性を説いて自ら公園を着工。
*1885年:衛作、公園建設の過労がもとで死去。
*1894年:衛作の死の後、仕事を引き継いだ弟の柿崎巳十郎が公園を完成させ、青森町(現在の青森市)に寄付する。
*1950年:青森市営球場開場。[[青森競輪場]]開場。
*1982年:青森競輪場移設。跡地は広場になる。
*1994年:公園の完成百周年を記念し、水原衛作、柿崎巳十郎兄弟の像が設立される。
 
==青森春まつり==
毎年春には青森市西部の野木和公園とともに青森春まつりが行われている。2005年の開催期間は4月29日から5月8日(野木和公園は5日)までで合計で約20万人(合浦公園15万人、野木和公園5万人)の人出で賑わっている。2005年の開催期間は4月29日から5月5日であった。
 
==合浦公園海水浴場==
砂浜は夏に一般に開放され、多くの海水浴客で賑わっている。遊泳期間7月20日から8月24日。シャワーも設けられ自然に公園周辺に美しい砂浜が続いていたが、戦後になと周辺の水質汚濁や利用客の増加などのためか、砂浜にはだんだんと泥がたまるようになっていった。砂浜の保全のため、過去二度にわたり海岸環境整備事業を実施しているが、砂浜が保全されているのは公園の部分の、それも海岸に近い部分のみに限定されている(周辺の海岸はコンクリートで固められている)。2005年の遊泳期間は7月22日から8月23日であった
 
==三譽の松==
樹齢460年以上と言われる傘型ので、市文化財として[[天然記念物]]に指定されている。現在の公園敷地の中央部に位置し、公園を東西に貫く歩道(旧[[奥州街道]])の脇にある。歴代の[[弘前藩]]主が地方の際にこの松の下で宴を催し、藩主自ら酒を謙譲したと言われている。1991年の台風19号など([[りんご台風]])により、一部大枝を損傷し切除した部分もあるがため、かつてここが[[奥州街道]]であったことを今伝え比べ遺構容姿は損なわれ貴重いるとも言われるが、今なお公園を代表する老松であることに変わりはない
 
==青森市営球場==
あまり浸透してはいないようだが、合浦公園スタジアムの愛称を持つ。開場からわずか3ヶ月後の1950年6月28日に、巨人対西日本戦で巨人の[[藤本英雄]]が日本プロ野球史上初の[[完全試合]]を達成した球場として有名。現在、球場の出入り口付近にはそれを記念して記念碑が建てられている。2001年に全面改修が行われた。また、この球場は青森県の夏の甲子園予選が行われている球場の一つである。
*両翼 98m
*中堅 121m
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