「坂本太郎 (テレビドラマ監督)」の版間の差分

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監督に昇進後は、[[東映不思議コメディーシリーズ]]、『[[スケバン刑事]]』シリーズなど特撮作品メインにメガホンを取り続けた。なかでも脚本家・[[浦沢義雄]]とのコンビでの作品はつとに有名で、ゴールデンコンビとも称された。[[2002年]]には『[[パワーレンジャー・ワイルドフォース]]』を手がけるため単身ロサンゼルスに渡米したこともある。同番組終了後に帰国し、[[2003年]]より再び東映テレビ特撮に監督として復帰。『[[劇場版 仮面ライダー響鬼と7人の戦鬼]]』([[2005年]][[9月3日]]公開)では映画監督としてもデビューを果たす。
 
近年は、盟友・[[高寺重徳]]プロデューサーが手掛ける『[[大魔神カノン]]』のメイン監督を担当するなど、72歳の現でも尚現役感を示している。また[[2007年]]の『[[仮面ライダー電王]]』第18話を最後に、古巣の東映テレビ作品の演出はしばらく4年半ほど途絶えていたが、[[2011年]]の『[[海賊戦隊ゴーカイジャー]]』第13話よりではローテーション監督として4年ぶりに東映に復帰し、浦沢とのコンビも8年ぶり復活となっ演出を担当した。
 
== エピソード ==
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*監督デビューから1年経たないうちに、次回作の『[[ペットントン]]』で早くもメイン監督を任されることになる。なお、当初『ペットントン』のパイロット監督は[[山田稔 (映画監督)|山田稔]]に依頼があったようだが、山田がその依頼を断ったとの逸話が残されており(ソース:[[平山亨]]氏の著書)、坂本のパイロット登板は実は窮余の策ではあった。
*パイロット監督の代行といえば、『スケバン刑事』も当初は[[小西通雄]]が演出を担当する予定だったが、小西の都合が悪くなったために坂本がメガホンを執っている。同番組のプロデューサーであった植田泰治(クレジットに名前は出ていないが裏で支えた)は、『バッテンロボ丸』『ペットントン』などで組んだ坂本を「力のある人だから」と推挙した<ref>『東映ヒーローMAX』Vol.32(2010年、辰巳出版)</ref>。
*デビュー作品の脚本を書き、以後も『ゴーカイジャー』に至るまで数々の作品でコンビを組んだ浦沢義雄について、坂本は自身がほぼひと回り年長にもかかわらず「僕は監督として浦沢さんに育てられたようなものですから」とインタビューにて感謝の念を語っている<ref>『東映ヒーローMAX』Vol.6(2003年、辰巳出版)</ref>。また、久々に『[[爆竜戦隊アバレンジャー]]』で浦沢と組むことになったときに、浦沢の手書きの原稿を読んで「昔から浦沢さんは変わっていない」と再確認して嬉しくなったという。浦沢もインタビューにて、想い出に残る監督という質問に対し坂本の名前を挙げていた<ref>DVD『美少女仮面ポワトリン』Vol.2 ブックレット(2005年)</ref>。また二人は仕事上の付き合いだけでなく、時々酒を飲み交わしている仲でもある。
*脚本家の[[荒川稔久]]は『爆竜戦隊アバレンジャー』のキャラクターブックインタビューにて、「(坂本は)どちらかと浦沢義雄さんと組んだ不思議コメディの印象の強い監督さんだったんですよね、コメディが得意な方だと。でも『[[恐竜戦隊ジュウレンジャー]]』の『女剣道!日本一』でゴウシと女剣士の関係がしっとりと描かれていてすごく意外に思ったんです。ああ、坂本監督にはこういう引出しもあったのかと。だから、『アバレンジャー』でそういうシチュエーションの作品が監督の担当だったのですが、大丈夫だと思ってました」と語っている。
*人望が厚い。『パワーレンジャー・ワイルドフォース』を手掛けるために渡米するときに、助監督として坂本に師事したこともある[[田崎竜太|田﨑竜太]]監督が発起人となり壮行会が開催されたが、延べ150人くらいが参加したという。