「8時だョ!全員集合の歴史」の版間の差分

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*1981年、2月の志村・[[仲本工事]]の「ノミ行為事件」、6月の「ギロチン事件」で視聴者が離れ、さらにいかりやが精神的・体力的にも限界を感じ出し、ネタ作りを放棄する。
*[[1982年]]、8月末で番組の生みの親の居作が異動で番組を離れる(後任は[[高橋利明]])。
**[[10月2日]]の放送で初めて裏番組の『[[オレたちひょうきん族]]』に視聴率で敗退。
*[[1983年]]
**テコ入れの一環で、年明けから少年少女合唱隊が隔週で放送され、同年[[2月19日]]の放送からは、長寿コーナーの合唱隊が消滅。唯一のゲスト参加コントであった合唱隊の消滅にアイドル歌手は落胆したと聞く。その穴埋めに前半コントの時間を延長したり、後半コントの数を増やした。20人の縄跳びコーナー、仲本&[[高木ブー]]の跳び箱、仲本・高木・[[すわしんじ|すわ親治]]&ゲストによるトランポリン&マット体操のようなもの、「新人発掘コーナー」も出てきたが、いずれも時間調整するためのつなぎのような役目であった。いかりやも「'''もう俺は疲れた、番組をやめよう'''」という発言をする。そんな中、この年には番組の生みの親だった居作が異動で製作現場を離れた。
**4月、それまで岡山県のみを放送エリアにしていた[[山陽放送テレビ|山陽放送]]が、[[岡山県・香川県の放送#岡山・香川両県の民放相互乗り入れ放送|岡山・香川の電波相互乗り入れ]]に伴い、香川県でも『全員集合』の放送を[[4月2日|同月2日]]より開始。
**[[8月13日]]の放送で番組の視聴率が10%を下回る(9.2%)。
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*[[1985年]]
**[[1月5日]]の放送で、前年[[9月14日]]にケガをして休んでいた高木が正式に復帰へ。またこの回は、全803回中歌手などのゲストが1人も出演しなかった回だった。
**[[7月19日]]、ついにTBSが1985年9月限りで番組を終了することを正式発表。TBSは番組終了発表の中で「'''生放送を公開形式でやっていくことには限界があった。ナンセンスギャグもやり尽くした'''」ことを理由に挙げていた<ref>『朝日年鑑1986』p.331。</ref>。
**[[9月28日]]、最終回を迎える(この日はTBS・Gスタジオからの生放送)。荒井も出演。後半は総集編を行った後、ゲスト出演者からドリフターズに花束が贈られた。そしてフィナーレでは天井から大量の[[紙吹雪]]がステージ一杯に降り、観客が[[スタンディングオベーション]]状態になり番組終了。最後に「'''長い間ありがとうございました 8時だョ!全員集合'''」の字幕スーパーが出て16年間・803回の歴史に幕を閉じた。34.0%の高視聴率を記録し、有終の美を飾った。