「街灯の下で鍵を探す」の版間の差分

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'''街灯の下で鍵を探す'''(がいとうのしたでかぎをさがす)は、古くは[[アラブ世界|アラブ]]に起源があるという[[たとえ話]]。多くの変種(variant)がある。[[経済学]]で引かれることが多い。[[英語]]では、"under the street light" joke あるいは"looking-for-keys-under-the-streetlight" jokeなどという。
 
==概要==
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:本当に重要なところはどこか分かっているが、そこは分析する方法がない。そこで、光が当っているところばかりが研究されている。
 
これを経済学に当てはめると、次の寓意が生まれる<ref>[http://shiozawa.net/ronbun/sugakunotanoshimi.html 塩沢由典「数学とオカルトのあいだ」]『数学のたのしみ』特集「数学にたくす夢」第30号、2002年4月、ppp.36-42. http://shiozawa.net/ronbun/sugakunotanoshimi.html
</ref><ref>[http://shiozawa.net/chosho/keizaishiso1_jobun.html 塩沢由典『経済学の現在』への序文(『経済思想』第1))への序文] 日本経済評論社、2004 http://shiozawa.net/chosho/keizaishiso1_jobun.html</ref>。
 
:新古典派の経済学は最大化、均衡などの理論枠組みによって数学的な定式化が進み、社会科学としてはもっとも理論的・科学的という理解がある。しかし、実態は数学的に定式化できるところのみを研究しているのみで、経済の本当に重要なところは研究されていない。
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たとえば、Martin Shubikは、次のように引用している<ref>Shubik, Martin 1970 A Curmudgeon's Guide to Microeconomics," ''Journal of Economic Literature'', '''8'''(2), p. 415.</ref>。
 
:[[一般均衡]]理論はうたがいなくすばらしい知的成果である。しかし、それはいかなる意味でも[[ニュートン力学]]の水準にはない。何千という[[]][[サービス(]](しばしばシステムの全体までも)が売られている巨大で複雑な諸企業の世界では、われわれが(最善の場合でも単純な極限事例をカバーするにすぎない)単純なモデルに固執しているのは滑稽なことだ。わたしはあの酔っ払いの話を思い出す。かれは、夜、鍵をなくして、それを探すために街灯の下で時間を費やしていた。鍵を失くしたのはそこから50ヤード離れていたが、街灯の下がなにかを見ることのできる唯一の場所だったのである。
 
==異なった解釈==
[[野口悠紀雄]]は、「街灯の下で鍵を探す」たとえを分析できるところから研究すべきだという意味に捉えている。物理学が進歩したのは、「街灯の下原則」に狙っていたからだという<ref> [http://keieikakusin.blog.shinobi.jp/Entry/13/ 成功する経営革新!5つの鍵 ]</ref><ref>[http://keieikakusinwww.blogsodan.shinobico.jp/Entryfamily/132008/<07/ref><ref>post_32.html ファミリービジネスサポート「まず街灯の下を探せ」http://www.sodan.co.jp/family/2008/07/post_32.html]</ref>。
 
ここから、経営上の知恵として、まず
*「分かるところを探せ」
*「自分の強みの周辺を探せ」
などの教訓とするものがある。こうなると、「街灯の下で鍵を探す」たとえの原意がまったく反対になっている。
 
==使用例==
タウンNEWS*[[秋葉忠利]] [[広島市|広島市長]] 平和大通り」2011年2月4日 記者会見<ref>[http://hiroshima.moe-nifty.com/blog/2011/02/post-daa4.html 酔っ払いの鍵探し] Blog「タウンNEWS広島 平和大通り」</ref><ref>[http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/0000000000000/1186723143252/index.html 「春風夏雨」vol.81「道州制について考える(3)—指定都市市長会議の提言と意見交換から—」]
広島市メールマガジン第105号掲載(2007年(平成19年)8月10日発行)</ref>
[[道州制]]の議論が[[政令指定都市]]の問題の解決には余り役立たない譬えとして。
 
*[[和田昭允]]『物理学は越境する ゲノムへの道』岩波書店、2005<ref>[http://d.hatena.ne.jp/keybot/20091111/p1 「街灯の下で鍵を探す」]Blog週末京都 2009-11-11 http://d.hatena.ne.jp/keybot/20091111/p1</ref>
*秋葉忠利 広島市長 2011年2月4日 記者会見<ref>「酔っ払いの鍵探し」Blog「
[[リチャード・P・ファインマン|ファインマン]]による寓話として。物理の研究者がやっている生命研究はそれに近いという皮肉。
タウンNEWS広島 平和大通り」http://hiroshima.moe-nifty.com/blog/2011/02/post-daa4.html</ref><ref>「春風夏雨」vol.81「道州制について考える(3)—指定都市市長会議の提言と意見交換から—」
http://www.city.hiroshima.lg.jp/www/contents/0000000000000/1186723143252/index.html
広島市メールマガジン第105号掲載(2007年(平成19年)8月10日発行)</ref>
道州制の議論が指定都市の問題の解決には余り役立たない譬えとして。
 
*和田昭允『物理学は越境する ゲノムへの道』岩波書店、2005<ref>「街灯の下で鍵を探す」Blog週末京都 2009-11-11 http://d.hatena.ne.jp/keybot/20091111/p1</ref>
ファインマンによる寓話として。物理の研究者がやっている生命研究はそれに近いという皮肉。
 
==脚注==
<references/>
 
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[[category:譬え|たとえ比喩]]
[[Category:経済学]]