「街灯の下で鍵を探す」の版間の差分
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'''街灯の下で鍵を探す'''(がいとうのしたでかぎをさがす)は、古くは[[アラブ世界|アラブ]]に起源があるという
==概要==
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:本当に重要なところはどこか分かっているが、そこは分析する方法がない。そこで、光が当っているところばかりが研究されている。
これを経済学に当てはめると、次の寓意が生まれる<ref>[http://shiozawa.net/ronbun/sugakunotanoshimi.html 塩沢由典「数学とオカルトのあいだ」]『数学のたのしみ』特集「数学にたくす夢」第30号、2002年4月、
</ref><ref>[http://shiozawa.net/chosho/keizaishiso1_jobun.html 塩沢由典『経済学の現在』
:新古典派の経済学は最大化、均衡などの理論枠組みによって数学的な定式化が進み、社会科学としてはもっとも理論的・科学的という理解がある。しかし、実態は数学的に定式化できるところのみを研究しているのみで、経済の本当に重要なところは研究されていない。
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たとえば、Martin Shubikは、次のように引用している<ref>Shubik, Martin 1970 A Curmudgeon's Guide to Microeconomics," ''Journal of Economic Literature'', '''8'''(2), p. 415.</ref>。
:[[一般均衡]]理論はうたがいなくすばらしい知的成果である。しかし、それはいかなる意味でも[[ニュートン力学]]の水準にはない。何千という[[財]]と[[サービス
==異なった解釈==
[[野口悠紀雄]]は、「街灯の下で鍵を探す」
ここから、経営上の知恵として、まず
*「分かるところを探せ」
*「自分の強みの周辺を探せ」
などの教訓とするものがある。こうなると、「街灯の下で鍵を探す」
==使用例==
広島市メールマガジン第105号掲載(2007年(平成19年)8月10日発行)</ref>▼
[[道州制]]の議論が[[政令指定都市]]の問題の解決には余り役立たない譬えとして。▼
*[[和田昭允]]『物理学は越境する ゲノムへの道』岩波書店、2005<ref>[http://d.hatena.ne.jp/keybot/20091111/p1 「街灯の下で鍵を探す」]Blog週末京都 2009-11-11
[[リチャード・P・ファインマン|ファインマン]]による寓話として。物理の研究者がやっている生命研究はそれに近いという皮肉。▼
▲タウンNEWS広島 平和大通り」http://hiroshima.moe-nifty.com/blog/2011/02/post-daa4.html</ref><ref>「春風夏雨」vol.81「道州制について考える(3)—指定都市市長会議の提言と意見交換から—」
▲広島市メールマガジン第105号掲載(2007年(平成19年)8月10日発行)</ref>
▲道州制の議論が指定都市の問題の解決には余り役立たない譬えとして。
▲*和田昭允『物理学は越境する ゲノムへの道』岩波書店、2005<ref>「街灯の下で鍵を探す」Blog週末京都 2009-11-11 http://d.hatena.ne.jp/keybot/20091111/p1</ref>
▲ファインマンによる寓話として。物理の研究者がやっている生命研究はそれに近いという皮肉。
==脚注==
<references/>
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[[category:
[[Category:経済学]]
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