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Nazunayh (会話 | 投稿記録)
m 一般的に用いられる:に疑義を表明します。キリスト教の用語でありましょう。
Kinno Angel (会話 | 投稿記録)
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'''永眠'''('''えいみん''')とは、人が永い眠りにつくこと。死去のこと。本項では特に、[[キリスト教]][[キリスト教諸教派の一覧|諸教派]]における用語・概念について詳述する。
'''永眠'''('''えいみん''')
#人が死ぬことを指して用いられる場合がある語。
#[[正教会]]で人の死を指す正式な用語である。本項で詳述する。
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[[プロテスタント]]では信者の死を「[[召天]]」とも言うが、「永眠」の語も用いられる。[[カトリック教会]]では[[帰天]]と言う。これに対し、[[正教会]]では「永眠」が、人の死を指す正式な用語である。
 
[[正教会]]で人の死を指す正式な用語である<ref name="ocj">[http://www.orthodoxjapan.jp/tebiki/kokoroe03.html かたち-諸奉神礼:日本正教会 The Orthodox Church in Japan]</ref>。[[プロテスタント]]では信者の死を「[[召天]]」とも言うが、「永眠」の語も用いられる<ref>[http://yoshinaka7.wordpress.com/2010/09/11/%E9%80%B1%E3%80%80%E5%A0%B1%E3%80%80no26500%E3%80%809%E6%9C%8812%E6%97%A5/ 日本キリスト教団松永教会 週報 No26500 9月12日]</ref><ref>[http://d.hatena.ne.jp/noburahamu/20110119 大地震( 心が揺り動かされ ) - 鈴木伸治によるブログ日記再開]</ref>。これに対し、[[カトリック教会]]では[[帰天]]と言う。
正教会は、[[生神女]][[聖母マリア|マリヤ]]が亡くなった日を記念して特別に[[生神女就寝祭]]を祝う。これは、ローマ・カトリックの[[聖母の被昇天|聖母の被昇天祭]]に相当するが、正教会には聖母の被昇天という教義が無いため、「被昇天祭」などと呼称する事は無い。このように、正教会においては人の死を「眠る」事として捉える。またこれに対義的に、「起きる」事と「立つ」姿勢は「[[復活 (キリスト教)|復活]]」と関連付けられる。正教会において祈りの基本的姿勢が立つ事とされるのは、復活を象徴する姿勢であるからだとされる。
 
永眠し、正教会で人のこと「死者」という語とともに、「'''永眠者'''」(えいみんしゃ)と。正教会で一般的である頻繁<ref name="ocj" />、[[プロテスタント]]用いも見られる表現である<ref>[http://www.mgu.ac.jp/christ/Old%20backup/06event.html 年間行事予定 宮城学院キリスト教センター]</ref>
 
==[[日本 正教会]]の ==
=== 祈祷文における「永眠」「眠る」の用例 ===
;[[聖金口イオアンの[[聖体礼儀]]、その重連祷より
:[[輔祭]] 又常に記憶せらるる,福たる至聖なる正教の総主教,此の聖堂の建立者,及び既に''眠りし''悉くの父祖兄弟,此の処と諸方とに葬られたる正教の者の為に祈る。
:[[詠隊]] 主憐めよ,主憐めよ,主憐めよ 。
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:[[詠隊]] [[永遠の記憶]](三度)。
 
==[[= 日本正教会訳聖書]]における「永眠」「眠る」の用例 ===
*兄弟よ、寝りし(''ねむりし'')者に至りては、我爾等が知らざるを欲せず、爾等が望無き他の者の如く哀しまざらん為なり。蓋若し我等ハリストスの死して復活せしことを信ぜば、即ち神はイイススに在りて寝りし(''ねむりし'')者をも彼とともに携へん。蓋し我等主の言(ことば)を以て爾等に語ぐ(つぐ)、我等生きて主の来る迄存する者は、寝りし(''ねむりし'')者に先だたざらん。蓋し主親から(みずから)号令と、天使首の声と、神のらっぱに伴われて、天より降らん。而してハリストスに在りて死せし者は先ず復活せん。其の後我等生きて存する者は、彼等とともに雲に挙げられて、主を空中に迎へん、是くの如くして常に主とともに居らん。
(以上、[[日本正教会訳聖書]]のフェサロニカ前書([[テサロニケの信徒への手紙一]]):4章13節から17節までを、一部の難字・表記等を別のもので代えた上で引用。[[埋葬式]]の際に朗誦される箇所)
 
== 脚注 ==
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==外部リンク==