「オルドーニョ3世」の版間の差分

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[[ラミロ2世 (レオン王)|ラミロ2世]]の子<ref>http://thepeerage.com/p15273.htm#i152726</ref>。彼の即位に対抗する異母弟[[サンチョ1世 (レオン王)|サンチョ]]を支持する[[ナバーラ王国|ナバーラ]]と[[カスティーリャ]]と対峙した。
 
彼はまた内部の[[反乱]]、[[アル・アンダルス]]の[[ムーア人]]からの攻撃、[[ガリシア]]の反乱に対処しなければならなかった。[[イスラム教徒]]への対応として、955年に[[リスボン]]にまで兵を送っている。この大事件以前、イスラム教徒は和平のために何もしなかった。和平交渉は、レオン王とコルドバ[[太守]][[アブド・アッラフマーン3世]]との間で締結された条約で終了した。
 
彼は父が行ったように、領土の防衛強化、頑なで分離しようとするカスティーリャ伯[[フェルナン・ゴンサレス]]に対して王権を強化しようとした。彼はフェルナン・ゴンサレスの娘ウラカと結婚もした。しかし、のちにフェルナン・ゴンサレスとサンチョ王子の同盟が行われたことを理由に、ウラカを拒絶した。
 
ウラカは少なくともオルドーニョ3世の子を2人生んだ。息子オルドーニョは早世し、娘テレサは[[尼僧]]となった。オルドーニョ3世は[[ベルムード2世]]の父親であるが、彼がウラカの子か、オルドーニョ3世の愛妾の子か意見は分かれている。
 
==脚注==