「ジェフリー・オブ・モンマス」の版間の差分

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ジェフリーの最も知られた代表作は、『[[ブリタニア列王史]]』(Historia Regum Britanniae) である。彼はこの本について、「イギリスの全英雄について整然と記したブリテン語の古書」を翻訳したものだと主張しているが、今日その内容のほとんどは、いくつかの[[神話]]や古書を基に、ジェフリー自身が創作した物語と考えられている。<ref>Thorpe, ''Kings of Britain'' pp. 14-19.</ref> このことは既に12世紀のウィリアム・オブ・ニューバーグ([[:en:William of Newburgh|en]])が、「(ジェフリーが)戦士[[ヴォーティガーン]]や彼以降の英雄たち、またアーサー王やその後継者について描いた物語は、一部は彼自身、一部は他の者(ジェフリーが参考とした本や神話)によって創作されたものである」<ref>''Kings of Britain'', p. 17.</ref>と看破しているとおりである。
 
物語は[[トロイのブルータス]]による最初の移住に始まり、紀元前500年5世紀頃の[[レイア]]<ref>後に[[シェイクスピア]]による[[悲劇]]『[[リア王]]』で有名になった。</ref>王の物語、紀元前1世紀の[[クノベリヌス]]<ref>後に[[シェイクスピア]]による[[戯曲]]『[[シンベリン]]』で有名になった。</ref>王の物語、[[ユリウス・カエサル]]の[[ローマによるブリタンニア侵攻 (紀元前55年-紀元前54年)|ブリタンニア侵攻]]<ref>[[43年]]の[[クラウディウス]]帝の{{仮リンク|ローマのブリテン島征服|en|Roman conquest of Britain|label=ブリテン島侵攻}}とは別の戦争。</ref>、5世紀後半の[[アーサー王]]の伝説、7世紀の{{仮リンク|グウィネズ王国|en|Kingdom of Gwynedd|label=グウィネズ王}}・{{仮リンク|カドワラドルス|en|Cadwaladr}}の死などが描かれてゆく。
 
一部で囁かれた偽書説に反して、『ブリタニア列王伝』の物語は、後世の歴史書に事実として頻繁に引用された。