「タケホープ」の版間の差分

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日本ダービーで単勝支持率66.6[[パーセント]]という圧倒的支持を得たハイセイコーに対し、タケホープは9番人気だった。しかしレースでは最後の直線で先頭に立ったハイセイコーを[[脚質#差し|差し]]きり勝利した。ハイセイコーは1秒弱離された3着に敗れている。
 
秋初戦の[[京都新聞杯]]ではハイセイコー2着に対し、タケホープは6番人気と低評価だったうえ8着と大敗。そして[[中央競馬クラシック三冠|クラシック三冠]]最終戦の菊花賞では、嶋田が落馬負傷するというアクシデントで急遽[[武邦彦]]に乗り替わり、またもや6番人気と低評価だったタケホープがハイセイコーをハナ差で下し、[[二冠馬]]となった([[2006年]]現在日本ダービーと菊花賞の二冠馬はタケホープのほかには[[クリフジ]]のみ。どちらも皐月賞不参戦馬である)。関西テレビのアナウンサー杉本清は「さぁ、第4コーナーをカーブして直線![[増沢末夫|増沢]]騎手がちらっと外を見ている!ハイセイコーが先頭だ!ハイセイコー先頭だ!さぁ、[[シルバーランド]]!シルバーランド来た!外からシルバーランド!シルバーランドであります!マチカネハチローも来た!ハイセイコー先頭!ハイセイコー先頭!そしてタケホープ!タケホープが来た!タケホープ先頭!タケホープ先頭!そして懸命にマチカネハチロー!さぁ、先頭はハイセイコー!ハイセイコーとタケホープ!ハイセイコーとタケホープ!ハイセイコーか!ハイセイコーか!タケホープか!ハイセイコーか!タケホープか!ほとんど同時!ほとんど同時!内がハイセイコー!外がタケホープ!」と実況した。年末には、この年の[[JRA賞|優駿賞年度代表馬]]、および[[JRA賞最優秀3歳牡馬|最優秀4歳牡馬]]に選出された。
 
翌[[1974年]]、[[小島太]]騎乗で臨んだ[[アメリカジョッキークラブカップ]]をタケホープが、[[中山記念]]をハイセイコーが制し、春の天皇賞では、タケホープが長距離適性を生かし、ハイセイコーを下している。しかしこれが、結果的にタケホープがハイセイコーに先着した最後のレースとなった。[[宝塚記念]]を制したハイセイコーと、休養したタケホープは秋に、[[東京競馬場]]でのオープン戦<ref>秋の天皇賞の前哨戦だが、天皇賞をすでに勝っているタケホープには天皇賞の出走権はなかった(当時は天皇賞は勝ち抜き制であったため)。</ref>と[[有馬記念]]で2度再戦し、ハイセイコーが2戦とも2着だったのに対し、タケホープはオープンが5着、有馬記念は3着と、いずれも敗れた。