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'''中村市'''(なかむらし)は、[[四国]]の南西部、高知県]]西部に位置する[[都市]]。旧[[幡多郡]]。
 
[[2005年]][[4月10日]]、隣接する[[西土佐村]]と[[日本の市町村の廃置分合|合併]](新設合併)し、[[四万十市]](しまんとし)となった。「[[四万十市]]」「[[四万十町]]」が隣同士で混乱しやすいため、道路標識では“四万十市”は「(旧)'''中村'''」、“四万十町”は「(旧)''[[窪川町|窪川]]''」と表示されている。又、他の「[[中村]]」と区別する際には、「'''[[土佐国|土佐]]中村'''」や「'''高知県の中村'''」という
 
== 概要 ==
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== 歴史 ==
[[国造]]が割拠した7世紀には、中村は、[[土佐国造]]ではなく[[波多国造]]の領土に属していた。[[律令制]]が敷かれると、土佐国造と波多国造が合併して[[土佐国]]となり、旧の波多国造の領土は[[幡多郡]]となった。
 
[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]には[[土佐一条氏]]の[[城下町]]となり、「土佐[[京都]]」と呼ばれるように京都をモデルとした都市造りが行われ、幡多郡の中心地へと発展した。しかし、土佐一条氏は、[[安土桃山時代|天正時代]]になると、[[高知市|高知]]を本拠地とする[[長宗我部氏]]によって倒され、長宗我部氏の領内に入れられた。
 
[[江戸時代|徳川時代]]になると、長宗我部氏から[[山内氏]]に統治者が変わり、中村は山内氏が治める[[土佐藩]]の領内に入った。
 
*[[1889年]]([[明治]]22年)4月1日 - [[町村制]]施行に伴い幡多郡中村、右山村、不破村、角崎村が合併し、'''中村'''(なかむら)が発足。
* [[1898年]](明治31年)[[11月10日]] - 中村が町制施行し'''[[中村町 (高知県)|中村町]]'''に名称を変更。
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== 関連項目 ==
* [[土佐一条氏]]
*[[波多国造]]
* [[高知県の廃止市町村一覧]]
*[[土佐中村郵便局]]
* [[高知県の廃止市町村一覧]]
;その他、人口が多い「[[中村]]」
*[[中村区]]:[[尾張国|尾張]]中村。[[名古屋市]]の中村。「[[中村郵便局]]」は、[[名古屋駅]]西口(太閤通口)の近くに立地している。
*[[中村町 (福島県)]]:[[陸奥国|陸奥]]中村。[[相馬市]]の中村。1961年以前は、常磐線の「[[相馬駅]]」は「中村駅」を称していた。
 
==参考文献==