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'''ルクレティア'''('''{{lang-la|Lucretia}}''', [[紀元前509年]]没)は[[紀元前6世紀]]に[[古代ローマ|ローマ]]を[[王政ローマ|王政]]から[[共和政ローマ|共和政]]へと移行させる契機になったとされる女性。[[イタリア語]]では'''ルクレツィア'''となる。他の共和政初期の人物同様実在には疑問がある。
 
伝承によればルクレティアは[[{{仮リンク|スプリウス・ルクレティウス・トリキピティヌス]]|en|Spurius Lucretius Tricipitinus}}の娘で、[[ルキウス・タルクィニウス・コッラティヌス]]の貞淑な妻であった。
 
紀元前509年、ローマは[[{{仮リンク|ルトゥリ人]]|en|Rutuli}}の[[アルデア]]を攻撃中で、ルクレティアの夫コッラティヌスもこの陣中に滞在していた。この陣中で[[ルキウス・タルクィニウス・スペルブス]]王の王子[[{{仮リンク|セクストゥス・タルクィニウス]]|en|Sextus Tarquinius}}らとコッラティヌスは妻を比べあった結果、陣営を抜け出し実際に妻たちのもとへ行きその貞淑を確かめることになった。王家の妻たちが宴会に興じているのに対してルクレティアだけは夫の留守を守り、貞節を守っていた。この結果を確認したのち一行は陣中に戻っていった。
 
このときルクレティアの姿を見たセクストゥスは彼女に横恋慕し、数日後今度は一人でルクレティアのもとを訪れた。夜になり、セクストゥスはルクレティアを[[強姦]]しようとし部屋に侵入した。剣で脅したがルクレティアは死をおそれず屈しなかった。しかし殺害後に裸の奴隷の死体とともに置き姦通の最中に殺されたかのようにするとの脅しには、その恥辱に耐えることはできなかった。