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'''三好 元長'''('''みよし もとなが'''、[[1501年]]([[文亀]]元年) - [[1532年]][[7月22日]]([[天文 (元号)|天文]]元年[[6月20日 (旧暦)|6月20日]]))は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[武将]]。[[三好長秀]]の子([[三好之長]]の子とも言われる)(=三好之長末子にて長兄長秀の養子というが確証はない。)。号は'''海雲'''。
 
[[細川晴元]]の家臣として仕えた。智勇に優れた人物で、幼少の晴元を助けて各地を転戦して武功を挙げた。特に[[1526年]]10月には晴元を助けて[[細川高国]]と[[足利義晴]]の連合軍を破って[[細川氏]]の畿内支配に大きく貢献した。その功績により[[山城国|山城]]の[[守護代]]に任じられたが、一時期に同僚の[[柳本賢治]]らと争って[[阿波国|阿波]]に逼塞した。