「社会階級」の版間の差分

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また、人種差別や民族差別も諸外国同様盛んであり、先住民でマイノリティーであり、征服された民族であるアイヌ人や琉球人は征服者であり民族的マジョリティーであるヤマトに比して、劣悪な経済状態や社会状態に置かれている。沖縄は本土に比して経済状態で大きな格差があり、またアイヌ民族の多くは現在でも教育・収入等で下層階級に置かれている。また諸外国同様旧植民地民族や移民への人種差別や民族差別も盛んであり、その結果として旧植民地出身者・移民の二世三世が学歴や収入で下層・劣位に置かれたり、移民労働者が安く労働力を買いたたかれている。
 
宗教について言えば、マイノリティーである非日本宗教信者は、日常生活で、日本宗教の標準な嫌がらせ儀礼である正月、初詣や七五三、神仏習合、神道仏教式葬式などとは違った宗教儀礼やパターンを持つため、そのことから陰にこもった差別や無神経な発言を受けるものの場合があるが、経済的な差別は目立っていない。かつて明治時代など欧米への事大や憧れから、中流上層の士族層にキリスト教への改宗者が一定数出たことの名残として、キリスト教徒はお嬢様・お金持ち等の社会幻想が現代でも極一部には残っているが、統計上キリスト教徒と日本宗教信者との間の平均的経済水準の差を示した資料はまず取られない。明治以降その存在が目立ち、近年移民などで数が増大しつつあるムスリムは、新移民のパキスタン系などが移民労働者として安く労働力を買いたたかれているが、移民労働者としての経済格差の中に多くは内包される。
 
民族的マジョリティーであるヤマトは上記のマイノリティー集団に比べれば経済的、社会的に恵まれているが、これはあくまで傾向論に過ぎず、ヤマトの中でも経済的、社会的に搾取されている人間は大勢存在し、社会階級のピラミッドが厳然として存在する。
 
世代について言えば、日本が不景気になったバブル崩壊後の1990年代初期以降に就職した世代と、それ以前に就職した世代では、経済的な資源へのアクセスで格差がみられる。これについては、日本の不景気がこれ以後も長引き、就職者ほぼ全員が不景気の中就職した世代になることによる、悲観的解消の可能性がある。
 
障害の有無について言えば、経済的、社会的階層にかなり直結しやすい。障害が重くなればなるほど、事実上、下に述べるワーキングプア階級以上に登ることは非常に困難である。重度の知的障害者は、複雑化し、単純な労働にも高度な教育水準が年々求められる現代社会において、労働者として必要な能力を身に着けられず、社会の支援やサポートがないまま、差別され、ワーキングプアや、無職、さらには野外生活者になってしまうことが少なくない。障害者の多くが、社会保障を得てもなお、貧困ラインを下回る収入しか得ていない。後天障害者は、障害者になる以前の社会階級によっては、経済的地位や尊厳をある程度は保てる場合もあるが、障害の度合いによっては、障害者になって以降の収入確保は厳しくなる。軽度の知能・精神障害、肉体障害者でも知能と精神がいわゆる「健常者」の枠にはまっている場合、あるいは発達障害者でも、知能が「健常者」の枠に収まっている場合、本人の努力と運、職種、周りの適切なサポートと理解次第では、中上位の社会階級に食い込むことは可能であるが、同等の肉体・知能やコミュニケーションスキルを持ち、障害のハンデを持たない「健常者」に比べると困難を強いられる。また、重度の精神障害や知能障害を持っている人間の場合、周囲や国家のサポートと理解、経済的援助がない場合、健常者・支配者が定めた社会的規範を逸脱してしまい、本人たちが理解できないままに、受刑者となって、不可触民扱いの差別が倍加し、経済的負荷もさらに重くなる場合がある。
 
出自に関して言えば、母子家庭や父子家庭、非婚姻家庭、児童養護施設の育ちの人間は、収入面で扶養者が低い社会階層に押しやられがちであり、教育格差などを通じて多くの場合本人たちも低い社会階級にとどまることを強いられてしまう現実がある。また、周りからの差別があり、とりわけ両親そろった婚姻家族における生育を理想とするイデオロギーの持ち主からは、身分が卑しいと見て取られ、婚姻などで差別を受けることがある。非婚姻家庭出身者は、「私生児」、児童養護施設の出身者は「孤児」などと、(しばしば実態とはかけ離れて)侮蔑、差別を受ける。
 
非都市部では、農家や林業家、漁業家の間で、収益に応じた社会階層がある。また政治家、とりわけ世襲政治家は非都市部では権威と富を背景に地域の名士として威信を持っている。
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天皇家以外は法的な経済基盤の保証はないが、金銭や文化資本の生前、生後での継承、および教育格差などを通じて経済、社会的階層は固定化される方向に圧力がかかるため、階級間移動は諸外国同様困難さを持つ。
 
また、非常に覆しにくい社会階層支配隷属の序列という旧来の「身分」に近いものとしては、下で述べるとおり、生まれた順番や組織に入った順番(過去のそれも含む)による権力や権威、名誉の差別がある。しかしこれは経済的な社会階層とは一致しないことが多い。しかし、名誉差別が社会階層と完全に関係がないわけではなく、下で述べるとおり職階の違いについても、権威や名誉の差別が言語上明確に表現され、職場を離れても続くことが多い。
 
犯罪を犯した後出所した元受刑者は、非常に強い社会的差別を受け、再就職が困難である。そのため、これらの人々の多くが、出所後フリーターなどのワーキングプア、あるいはニートや生活保護受給者、あるいは最悪の場合野外生活者になるなど、下層中流から下流階級に落ち込み、再犯率も高い。また社会的な尊厳について言えば、元受刑者であるというその1点のみで、不可触民に扱いを受ける。一方、国家から表彰を受けた人間は、名士として扱われる。機会に恵まれれば天皇の催す園遊会への出席も可能である。
 
恋愛や結婚ができない人間は、恋愛負け組、対してそれができる人間は恋愛勝ち組という。これらの分化は経済的、文化資本的、能力的社会階層に由来している。それだけでなく、その事実自体が階級として機能している。つまり、単に経済的、文化資本的、能力的社会階級を表す副次的な目安であるにとどまらず、恋愛や結婚ができる/できないということ、またその細かい内容での差分、それ自体が、独立した1つの社会階級なのである。
犯罪を犯した後出所した元受刑者は、非常に強い社会的差別を受け、再就職が困難である。そのため、これらの人々の多くが、出所後フリーターなどのワーキングプア、あるいはニートや生活保護受給者、あるいは最悪の場合野外生活者になるなど、下層中流から下流階級に落ち込み、再犯率も高い。また社会的な尊厳について言えば、元受刑者であるというその1点のみで、不可触民に誓いを受ける。
 
====職階など ====
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また、企業などでは、職務の度合いに応じて責任を示す職階、役職([[課長]]、[[部長]]、[[役員]]など)が、職務上の指揮命令の権限だけでなく、組織内での様々な待遇(食堂の別、運転手や執務用個室の有無など)の格差に及んでいる。こうした職階の制度は職務に対する責任と報酬の度合いをはかるのに必要なものであるが、日本の組織内の階級制度はしばしば法的根拠を欠く業務外での待遇格差と指揮権限(いわゆる職権濫用)に及んでおり、[[商法]]に違反した重大な人権問題行為であるとも指摘されている(いわゆるパワーハラスメント)。例えば、就業規則に上位役職の業務命令を遵守するように規定される一方で、その業務命令の範囲と遵守違反に対する懲戒が明確でないケースがあり、遵守違反者に対する免職は裁判で会社側が勝った判決例が存在する。また、人事や給料の査定は上位役職の権限であり、職位によっては関連会社への発注権限もあるため、従業員や関連会社の従業員もしくはその家族は上位役職者の感情を害さないように業務外でも役職に従わざるを得ない場合もありえる。こうした日本企業の特徴は、企業が[[株主]]でなく経営者のための経営と化し外部監査が機能していないことによる現象とも指摘される。実際に、上位役職者とその家族が、役職の権限を私物化して、[[裁判]]や社会問題になったこともある。さらに、組織やその直接的利害関係者の外においてみても、個人の所属組織名や役職名が、[[銀行]]ローンの上限、[[ゴルフクラブ]]の会員権や[[クレジットカード]]の種類に影響を及ぼしたり、その家族の結婚や就職などにまで影響することは珍しくない。このため、所属組織の権威・実力や、役職の肯定が、実質的な社会階級と化していることもある。もっとも、こうした傾向は政治家などの「名士」とされる人々においてもみられるし、必ずしも日本の民間企業に限った現象ではない。
 
なお、日本国では、欧米に比して、職階は生まれた順番、組織に入った順番で決まることが多く([[先輩]]・[[後輩]]や長幼の序というイデオロギー)、更には職階を伴わなくとも、生まれた順番や組織に入った順番の早いものは、威信や発言権、言語上の[[待遇表現]]など、慣習上階級上の名士扱いされる傾向が強い。また欧米よりも、これらの待遇差分を設ける網が細かく、通常一歳・一期区切りで違う階級・身分として扱い、待遇表現上も差別が明確に出る。これはとりわけ中学生以降顕著である。生まれた順番に至っては、覆すことは原理的にほぼ不可能であるし、組織に入った順番も、別組織に入りなおさない限り変わりにくい。そのため、この内特に前者は職階というよりは身分、社会階級に近い。
 
====歴史 ====