「ヤーセル・アラファート」の版間の差分

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| 出生日 = [[1929年]][[8月24日]]
| 生地 = {{EGY}}、[[カイロ (エジプト)|カイロ]]
| 死亡日 = {{死亡年月日と没年齢|1929|8|24|2004|11|11}}
| 没地 = {{FRA}}、[[パリ]]
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=== 生い立ち ===
[[ファイル:Arafat-young.jpg|150px|thumb|アラファート(1940年代)]]
[[エルサレム]]の[[アラブ系]][[スンナ派]][[ムスリム]](イスラム教徒)の名門フサイニー家に属する裕福な織物商家の7人中5番目の子として生まれた。アラファート自身の主張によれば、彼は1929年[[8月4日]]、エルサレムに生まれたことになっているが、1929年[[8月24日]]に[[カイロ (エジプト)|カイロ]]に生まれたという見解もあり、彼の誕生日と誕生地は彼が生粋の[[パレスチナ人]]であったかという問題と絡んで議論の的となっている。
 
少年時代をカイロおよびエルサレムで送った後、[[カイロ大学]]で工学を学んだ。学生時代にはパレスチナ学生連合に所属し、[[1952年]]から[[1956年]]まで議長として活躍した。