「姫鵬飛」の版間の差分

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1979年[[中共中央対外聯絡部|対外連絡部長]]、[[中華人民共和国国務院|国務院]]副総理兼秘書長。1982年から国務委員、第5期[[全国人民代表大会]](全人代)常務副委員長兼秘書長。1992年までの10年間、国務院香港マカオ弁公室主任、[[香港特別行政区基本法]]起草委員会主任として香港・マカオの復帰の事前準備を担当。香港問題に関する中英共同声明調印式にも出席した。
 
息子の[[姫勝徳]]が[[遠華密輸事件]]に関与していたこと(死刑判決が出たが、執行が猶予され、のち無期懲役に変更)に関連し、冤罪ゆえの免除を[[江沢民]]に要求したがそれを蹴られた為に[[2000年]]2月に、抗議の服毒自殺をしたといわれている。中国外交の功労者でありながら、これらの理由で彼の葬儀は地味なものになり、2001年10月に出た[[新華社]]の死亡記事も非常に簡単なものとなった。2010年2月22日、北京の[[人民大会堂]]で「姫鵬飛生誕100周年記念座談会」が開催された。
 
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