「オイバレス (キュロス2世の家臣)」の版間の差分

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'''オイバレス'''(希:Οἰβάρης{{lang-grc-short|Οἰβάρης}}、ラテン文字転記:Oibares、[[紀元前6世紀]])は[[アケメネス朝ペルシア]]王[[キュロス2世]]の家臣である。
 
オイバレスについての記述は[[クテシアス]]によって書かれたが現在は散逸している『[[ペルシア誌]]』の[[フォティオス1世 (コンスタンディヌーポリ総主教)|フォティオス]]による要約(cod. 72)に残っている。[[メディア王国|メディア]]に服属していた[[アンシャン]]の王(後にペルシアの王)キュロスがメディアに反旗を翻して[[紀元前550年]]にメディアを滅ぼした時、オイバレスはメディア王[[アステュアゲス]]を捕縛した。メディアを併呑したキュロスは次いで[[リュディア]]と戦い、オイバレスは[[紀元前547年]]にペルシア軍がリュディアの首都[[サルディス]]を包囲した時にペルシア軍の格好をした木の人形を城壁の周りにおいて住民にプレッシャーを与える策を献策した。そして、リュディア王[[クロイソス]]を捕らえた時には彼を監視した。
 
キュロスが宦官の[[ペティサカス]](Petisaces)にアステュアゲスを呼び寄せるよう命じた時、オイバレスはペティサカスにアステュアゲスを飢え死にさせるよう忠告し、ペティサカスはそのようにした。これが明らかになると、ペティサカスはアステュアゲスの娘でキュロス[[ネブカドネザル2世]]の妻だった[[{{仮リンク|アミュティス]] (メディア)|en|Amytis of Media|label=アミュティス}}に引き渡され、復讐として目を抉り出されて生きたまま皮をはがれ、磔にされて処刑された。これを知ったオイバレスは自らも同じ運命を辿ることを恐れ、食を断って自殺した。
 
== 参考文献 ==