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1900年に3人の研究者([[ユーゴー・ド・フリース]]、[[カール・エリッヒ・コレンス]]、エーリッヒ・チェルマック)がそれぞれ独自にメンデルの法則を再発見した。ちなみに、同年、[[ウィリアム・ベイトソン]]はたまたまメンデルの論文を入手して、その重要性に驚いて広く説いて回った。とりわけ、ベイトソンと[[カール・ピアソン]]の間では激しい論争が繰り広げられた。このようにして遺伝子の論が広く知られると、1902年には[[ウォルター・S・サットン]]が[[染色体]]の観察から遺伝の[[染色体説]]を提唱した。染色体上に遺伝子があるとすると[[独立の法則]]が危うくなるが、これを埋めたのが[[遺伝的連鎖|連鎖]]と[[組み換え]]の発見である。これらを用いて[[トーマス・ハント・モーガン|モーガン]]らが遺伝学的手法を用いて遺伝子が[[染色体]]上にあることを証明した。
 
また、この時代と平行して、集団遺伝学の成立、[[自然選択説]]と遺伝学の統合を図る[[ネオダーウィニズム]]も生まれている。
これ以降、[[セントラルドグマ]]の時代までの研究は大きく2つの流れがある。一つは遺伝子の物質的な基礎の研究であり、もうひとつは遺伝子の形質発現のしくみの解明である。
 
==== 分子生物学の黎明期〜DNAの立体構造決定====
これ以降、[[セントラルドグマ]]の時代までの研究は大きく2つの流れがある。一つは遺伝子の物質的な基礎の研究であり、もうひとつは遺伝子の形質発現のしくみの解明である。
 
===== 遺伝子の本体の追求 =====
染色体は [[デオキシリボ核酸|DNA]] や[[タンパク質]]から構成されており、当時、遺伝子の正体はタンパク質であると考えられていた。しかしまず、1944年の[[肺炎双球菌]]の[[形質転換]]の研究や、1952年の[[ハーシーとチェイスの実験|ハーシーらの実験]]により DNA が遺伝子の本体であることが明らかにされた。その立体構造については、1953年に[[ジェームズ・ワトソン|ワトソン]]と[[フランシス・クリック|クリック]]が[[二重螺旋構造]]を提唱し、認められた。