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{{統合提案|ダーハ氏族|date=2012年12月}}
[[ファイル:Various races of Central Asia in The 1st century BC.(ja).png|thumb|350px|[[紀元前2世紀]]頃のダアイの位置。]]
'''ダアイ'''([[ペルシア語]]:داها【ダーハー】、[[ラテン語]]・[[ギリシャ語]]:Δάοι【ダオイ】、Δάαι【ダアイ】)は、かつて[[カスピ海]]の東側に住んでいた[[スキタイ]]系[[遊牧民族]]。[[古代ギリシャ|ギリシャ]]・[[古代ローマ|ローマ]]の[[歴史家]]たちがその記録を残している。
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*[[マッサゲタイ]]
*[[遊牧民]]
* [[ダーサ]] - [[インド・アーリア人]]の敵とされる部族。ダーサはダーハを指すと言われるが、ダーハ氏族との関連性は不明。
 
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[[Category:遊牧]]
[[Category:遊牧民]]
 
[[ca:Dahes]]
[[de:Dahae]]
[[en:Dahae]]
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[[fa:داهان]]
[[fi:Dahae]]
[[hr:Dahi]]
[[hu:Dahák]]
[[it:Dahai]]
[[ko:다하에]]
[[ne:दह]]
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[[ru:Дахи (союз племен)]]
[[sh:Dahae]]
[[vi:Người Dahae]]
 
 
'''ダーハ氏族、ダーハ族'''とはダーハ=スキタイとも呼ばれる[[印欧語族]]を起源とした[[イラン系]]の言語を話す古代[[スキタイ]]部族である。[[ストラボン]]は彼らについて次のように記している。
 
{{cquote|''多くのスキタイ人は[[カスピ海]]を起源とし、ダーハ=スキタイと呼ばれる。[[マッサゲタイ|マッサゲタエ]]と[[サカ]]より東部へ位置していた。''|||ストラボン地理誌 11-8-1}}
 
ストラボンの描写ではダーハ遊牧民の場所は現在の[[トルクメニスタン]]あたりになる。[[紀元前330年]]から[[紀元前1世紀]]ごろまで[[硬貨]]を鋳造している。
 
ダーハ族は他のスキタイの部族と供に[[ダレイオス3世]]の側について[[ガウガメラの戦い]]に加わった。後に[[アレクサンドロス3世|アレキサンダー大王]]の[[インド]]遠征軍に加わる。[[アケメネス朝]]の崩壊と供に部族は解体した。
 
このダーハ族の分派が、数度に渡って軍事戦役を起こした[[パルニ族]]である。その戦いで[[グレコ・バクトリア王国]]や[[セレウコス朝]]に少しずつ優位に立っていった。[[アルサケス]]の治世下の時パルニ族の[[パルティア]]は良く知られているように[[イラン高原]]全土を支配に収めるようになった。古代メディア=ペルシア帝国の本拠を支配することで、本来の[[ヨーロッパ]][[ステップ (地形)|ステップ]]伝統の遊牧民文化が都市文明に変わっていった。この文化変容で[[ローマ帝国]]の大敵となっていった。
 
== 関連項目 ==
* [[ダーサ]] - [[インド・アーリア人]]の敵とされる部族。ダーサはダーハを指すと言われるが、ダーハ氏族との関連性は不明。
 
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[[Category:スキタイ]]
[[Category:インド・ヨーロッパ系諸民族]]
[[Category:アケメネス朝]]
[[Category:パルティア]]
[[Category:トルクメニスタンの歴史]]
[[Category:中央ユーラシア史]]
 
[[ca:Dahes]]