「主戸客戸制」の版間の差分

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===研究の沈滞化===
*高橋説の出現と論争の沈滞化―税産基準説の確定―
客戸論争は多岐に渡る論点を派生させ、複雑化の一途をたどっていたが、この状況に終止符を打ったのが74年に発表された[[高橋芳郎]]の説である。高橋はまず従来の研究者の見解に見られる方法上の欠陥として、第一に主戸・客戸は制度概念、佃戸を実体概念として区別して考察すべきところを、三者を同一線上に扱って混乱をもたらしたこと、第二に史料として挙げられた各種帳簿類の、それぞれの目的・性格や記載形式を無視し、その帳簿に名が記載されることの意味を検討してこなかったことを指摘した。</br>
続いて高橋は以下のような主張を展開した。すなわち、帳簿類を個別に検討すると、保甲簿には客戸の戸名が記載されているが、両税の徴収に使われた夏秋税租簿に戸名が記されたのは主戸に限られ、客戸の戸名は記されていなかった。つまり、税役法上客戸を戸として掌握する必要のある帳簿には客戸も戸名を持ち、その必要のない帳簿には戸名を持たなかったことになる。また、農民の戸等を示す帳簿に五等簿があるが、五等簿に記載された戸名は税産所有者の名義を意味するものであり、五等簿上に戸名を持つということは税産所有者、すなわち主戸であることを意味する。したがって、主戸・客戸の区分は税産の獲得を基準とするとして、税産基準説を支持した。また、耕作田土の所有を公認される前は「無田無税」であるから客戸、公認後は「有田納税」であるから主戸、というように峻別して扱われるのであり、戸籍法上「有田無税」の客戸、「有田納税」の客戸の存在は認められないとして、草野・柳田説を退けた。</br>
続いて高橋は以下のような主張を展開した。</br>
高橋の学説は方法上の確実性と内容上の説得力に富むもので、現在に至るまで最も有力なものと見なされており、定説としての地位を確立した。高橋説の出現により主客区分の問題は基本的に決着がつけられ、以後この分野の研究は急速に衰退してゆく。
保甲簿には客戸の名が記載されているが、ここから客戸は戸籍上に戸名を持つと一般化することはできない。両税の徴収に使われた夏秋税租簿に戸名が記されたのは主戸に限られたと考えられる。草野は主戸・客戸ともに編戸であり、編戸は戸籍に戸名を持ち、戸名を持つには田産所有が必要で、したがって戸名を持つ客戸は税産を所有する戸としたのであるが、客戸が全ての帳簿に戸名を持つとは限らず、保甲簿に戸名を持つ場合には田産所有が必ずしも必要ではないことから、草野説は成立せず、主客の区分は税産の有無を基準とする。
*高橋以後
 
草野は客戸が両税を負担していたとする史料を挙げ、有田納税客戸の存在を主張し続け、高橋説に対抗した。これに対し島居は荒田を耕作している客戸について改めて検討し、この客戸は田土を「所有」しているのではなく、あくまでも「占有」を意味するのであって、荒田の所有者は官であり、客戸は占有権を持つに過ぎず、したがって有田客戸を客戸の具体的な存在形態として一般化することはできないとした。島居の説は高橋以後に残されていた問題を整理・補足したものである。</br>
 
主客区分の問題に関する研究は島居説を最後として現れておらず、主戸客戸論争は社会経済史研究の全般的な衰退の流れに巻き込まれる形で幕を閉じた。
 
[[category:中国の制度史|しゅこきゃっこせい]]