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Sngnisfuk (会話 | 投稿記録)
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== 生涯 ==
父[[アンティオコス2世]]は、[[プトレマイオス朝]]エジプト]]より[[:en:Berenice (Seleucid queen)|ベレニケ]]を王妃に迎え、ラオディケ1世と離婚した。ラオディケは王妃に返り咲くため陰謀をめぐらし、[[紀元前246年]]には王妃に復帰してベレニケを殺害、アンティオコスも毒殺して息子セレウコス2世を即位させた。しかし、ベレニケの弟でエジプト王となった[[プトレマイオス3世]]は復讐を図り、'''[[:en:Syrian War|第三次シリア戦争]]'''([[紀元前246年]]-[[紀元前241年]])を開始した。この戦争はエジプトが圧勝し、セレウコス朝シリアは弱体化していった。
 
エジプトに対する敗北に加え、内紛も国力弱体化を早めた。セレウコスの弟[[アンティオコス・ヒエラクス]]は、[[アナトリア]]にて自立して王位を主張した([[紀元前240年]]頃-[[紀元前228年]]頃)。ヒエラクスはガラテア人と同盟してセレウコスを苦しめたが、[[ペルガモン王国]]の[[アッタロス1世]]の援助で撃破した。しかし、これはアッタロスの勢力拡大となり、シリアの安定にはつながらなかった。