「農奴制」の版間の差分

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===プロイセン===
[[プロイセン]]の農民は、王領地の農民、貴族の[[農場領主制]](グーツヘルシャフト)下におかれた世襲隷属民、西欧的な自立性の高い農民の3つに類型化できる。[[1807年]]、[[ナポレオン・ボナパルト]]に敗北した屈辱から始まった一連のプロイセン改革で、これらの農民に対する土地売買の自由などが規定され、職業選択の自由など人格的自由が確立した。
 
しかし、これらの改革は地主本位のものであった。農民は、人格的自由は手に入れたものの、土地の多くは地主に与えられた。こうして、地主層は労働力を隷属農民から農業労働者に切り替え、資本主義経済に適応していった。こうしたことから、プロイセンでは土地貴族([[ユンカー]])がのちまで政治、社会の中心となった。