「マジャパヒト王国」の版間の差分

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== 成立 ==
[[シンガサリ王国]]の{{仮リンク|シンガサリ王国のクルタナガラ|en|Kertanegara of Singhasari|label=クルタナガラ}}王のもとに[[モンゴル帝国]]の[[クビライ]]の使者が来て朝貢を求めたが、その顔に刺青を入れて送り返したので、[[1293年]]に{{仮リンク|モンゴルの遠征軍派遣|en|Mongol invasion of Java}}が行われたが、クルタナガラ王は[[クディリ王国|クディリ王家]]の末裔と呼ばれる当地の領主{{仮リンク|ジャヤカトワン|en|Jayakatwang}}の反乱によって前年[[1292年]]に殺されていた。クルタナガラ王の娘婿であった{{仮リンク|ラデン・ウィジャヤ|en|Raden Wijaya|label=ウィジャヤ}}はジャワ北岸の{{仮リンク|トゥバン (インドネシア)|label=トゥバン|en|Tuban}}に上陸した元軍と同盟して、ジャヤカトワンが乗っ取ったシンガサリ王国を滅ぼし、さらに元軍をジャワから追い出して、[[:id:Aria Wiraraja]]と協力してマジャパヒト王国を建国した。ウィジャヤの即位名をクルタラジャサ=ジャヤワルダナ({{lang|id|Kertarajasa Jayawardhana}})という。王国の都はジャワ島東部プランタス川流域の{{仮リンク|トロウラン|en|Trowulan|label=マジャパヒト}}に置かれた。
 
マジャパヒトと元朝の関係は当然悪化したが、[[クビライ|フビライ]]汗が死去すると大きく好転し、1295年から1332年の間に10回の朝貢が行われた。