「ダイオミード諸島」の版間の差分

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'''ダイオミード諸島'''(ダイオミードしょとう、Diomede Islands、{{Lang-ru|острова Диомида}}、グヴォーズデフ諸島 Gvozdev Islands とも)とは[[ベーリング海峡]]の中間にある[[諸島]]。
 
[[アメリカ合衆国]]領のリトルダイオミード島(ロシア語:クルーゼンシュテルン島 Krusenstern、イナリク島 Inaliq)と[[ロシア]]領のビッグダイオミード島(ロシア語:ラトマノフ島 Ratmanov、イマクリク島 Imaqliq、ヌナルブク島 Nunarbuk)の二つの島からなる。アメリカ側のリトルダイオミード島には100人強の人が住んでいるが、ロシア側のビッグダイオミード島は[[冷戦]]中にソ連政府が先住民である[[ユピク]]の人々を本土に強制移住させたため無人である。
 
二つの島の間は3.7kmで、両島の中間点を[[国境]]と[[国際日付変更線|日付変更線]]が通っている。アメリカ領とロシア領の最も接近している場所である。位置は、{{ウィキ座標度分秒|65|47|00|N|169|01|00|W|}}。
 
この島々には[エスキモー]]の[[ユピク]]の人々が住んでいた。[[1648年]]、ロシアの探検家[[セミョン・デジニョフ]](Semyon Dezhnev)が島に到着した最初のヨーロッパ人である。しかしデジニョフの航海は19世紀後半まで忘れられており、[[1728年]][[8月16日]]に[[ヴィトゥス・ベーリング]]が再発見・命名したとされる。再発見した8月16日は[[ロシア正教会]]が[[タルスス|タルソス]]の聖ディオメデスを祝う日であり、これにちなみ現在の名となった。またロシアの測地学者ミハイル・グヴォーズデフ(Mikhail Gvozdev)が島の位置を地図に記した(別名のグヴォーズデフ諸島の名はこれにちなむ)。
 
[[1867年]]にアメリカ合衆国がロシア帝国から[[アラスカ州|アラスカ]]を買収したことにより、現在の領域が確定している([[アラスカ購入]])。この際の米露間の条約では、ダイオミード諸島の二つの島の中間線をまっすぐ北極海へと伸ばした線を国境と定めている。