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[[Image:Philippe de Lorraine-Armagnac dit le Chevalier de Lorraine 1643 - 1702.jpg|thumb|right|180px|フィリップ・ド・ロレーヌ]]
 
'''フィリップ・ド・ロレーヌ'''(Philippe de Lorraine, [[1643年]] - [[1702年]][[12月8日]])は、[[フランス王国|フランス]][[ブルボン朝]]の貴族。上級貴族[[ギーズ公|ギーズ家]]の一員で、分家のエルブフ公[[シャルル1世 (エルブフ公)|シャルル1世]]の次男のアルクール伯[[アンリ・ド・ロレーヌ (アルクール伯1601-1666)|アンリ]]の次男として生まれた。美男子であったことからフランス王[[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]の弟の[[オルレアン公]][[フィリップ1世 (オルレアン公)|フィリップ1世]]の[[男色]]相手として寵愛された。'''シュヴァリエ・ド・ロレーヌ'''(Chevalier de Lorraine)の通称でも知られる。
 
== 生涯 ==
兄[[ルイ・ド・ロレーヌ (アルマニャック伯1641-1718)|ルイ]]は父亡き後の[[1666年]]にアルマニャック伯に叙せられ、シュヴァリエは[[シャルトル]]教区のサン=ピエール修道院長職を与えられたが、[[1658年]]からフィリップ1世の愛人となり[[パレ・ロワイヤル]]に住み着くようになった。この頃、[[清教徒革命]]で亡命していたフィリップ1世の叔母[[ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス|ヘンリエッタ・マリア]]と娘で従妹の[[ヘンリエッタ・アン・ステュアート|ヘンリエッタ・アン]](アンリエット・アンヌ)もパレ・ロワイヤルに住んでいた。
 
[[1661年]]にフィリップ1世とアンリエットは結婚したが、フィリップ1世とシュヴァリエの関係は続きアンリエットは無視されていた。[[1670年]]にアンリエットをルイ14世に讒言したため[[リヨン]]、次に[[シャトー・ディフ]]へ、最後に[[ローマ]]へ追放された。同年にアンリエットは急死したが、復讐を企てたシュヴァリエが[[暗殺]]したとの噂が流れた。翌[[1671年]]、フィリップ1世はルイ14世の勧めで[[エリザベート・シャルロット・ド・バヴィエール|エリザベート・シャルロット]](リーゼロッテ)と再婚したが、シュヴァリエをフランスへ呼び戻すことを条件に挙げたため、[[1672年]]にフランスへ戻りフィリップ1世との関係を継続していった<ref>戸張、P171 - P172、宮本、P23 - P25、P28、P33。</ref>。